主要作品
広川さんにお話を伺っている時はメモを取るなど 記録として正確に残しませんでした。 (家に帰ってから忘れないようにメモリましたが) 年代的に古い物もあり、 事実に反してたり客観性に欠ける面があるかもしれません。 個人名も掲載の許可や事実確認はしておりません。 以上を留意の上でお願いします。 |
コンテ&演出。(広川和之名義) ザンボット以前はタツノコを辞した後、 東映の演助兼進行をやっておられたそうです。 (1968年~1969年放送の「佐武と市捕物控」の企画で 広川和之の名前がありますが同姓同名の別の方です。 バルディオスの広川和之さんは「佐武と市捕物控」のお仕事はされてません。 また一部web上で読み仮名が「ひろかわかずのり」となっていますが 「ひろかわかずゆき」が正しい読み方です。) この東映時代からスタジオZの方々と交友があり 何かというと大泉学園の「斜陽」というスナックでうだうだ飲んでは、 アニメの話を熱く語り合っていたのだそうで そのスタジオZの冨沢和雄さんの声かけで参加されたそうです。 スケジュールはとてもリスキーだったそうですが 仕事を任された嬉しさからスタジオに泊まりこんで作業したそうで 12話と15話は監督の富野喜幸さんに満足してもらえるものになったそうです。 (続く19話は自分では納得できない仕事になってしまったそうですが 富野さんコンテの最終回演出を任されることになったのだそうです) またザンボットで演出デビューした直後 和光プロで「激走!ルーベンカイザー」 の各話演出も掛け持ちでやっていたそうです。 アニメを目指すならまずはアニメーター (動、原画)に進むのが一般的?なような気がして なぜ演出なのか、最初から演出を目指していたのかをお聞きしたことがあります。 その時、 「一人でじっと机に向かって絵を描き続けるより みんなで何かを作っていくほうが楽しい、向いている。」 とおっしゃってました。 (業界入りした当時はクレジットに出ない形で動画も経験されたそうです。) 先日、広川さんを知っているアニメ関係の方にお話を伺う機会があったのですが 「絵は独学で勉強してたようだが、適性もあったのではないか。」 とのお話でした。 広川さんのコンテはわりとラフなのですが、 その方によると晩年も同じだったそうです。 また 「コンテは綿密に描き込むタイプと、 ラフに、所謂まるちょんで描くタイプに分かれるが、広川さんは後者。 丁寧なコンテは忠実再現の意味で優れているが画面がコンテを越えない。 ラフなコンテはラフなだけに コンテをたたき台にして次の工程を務める各人が膨らませる出来る。」 とおっしゃってました。 もしかしたら絵が不得手だったのかもしれませんが 前記のご本人の発言も含めて 広川さんの演出家としての姿勢が見えてくるのではないかと思いました。 この頃の私はザンボットを見てませんでした。 なので作品に対する深いお話はお聞きできなかったのですが 代わりに次のようなお話を伺いました。 廣川集一として会った方と 普通に仕事の打ち合わせをしていた時のことだそうです。 雑談中にたまたまザンボットの話になり その方が 「最終回は何度見返したか判らないほど好きだった」 と熱く語りだしたのだそうです。 実は・・・(ザンボット最終回演出は広川さん)と打ち明けると 「廣川さんって(伝説の最終回の)広川さんだったんですか~\(@O@)/」 と大変驚かれ、熱い視線を浴びてしまったのだそうです。 観てくれる人はちゃんと観てくれているんだなあと、とても嬉しく思われたそうです。 |
OP演出について 今では普通に行われてることだけど、当時 あそこまで音と動きを合わせたOPはなかったのではないか? 金田伊功さんと仕事をしたのはこれが最初で 金田さんがタイミングを合わせてくれた。 初めてアニメ雑誌の取材を受けたのも009のOPでだった。 優秀なスタッフの方と良い仕事が出来た。 と伺ってます。 |
「女王陛下のプティアンジェ」に参加 その流れでこの作品にも参加することになったそうです。 確認できる物(テロップやスタッフリストなど)がないのですが 伺った話によるとコンテと演出を何本か担当されたそうです。 (その中の「魚はぜったい食べないぞ」は 晩年でもご自分の代表作との認識だったそうです) 放送終了後?に作られた総集編ビデオの編集にも携わったそうです。 このビデオの評判が良かったそうで、 これがバルディオス監督のオファーに繋がったのではないか とおっしゃってました。 |
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初監督作品。 他にコンテ、演出、脚本。 第16話脚本のみ中村亮之介名義、他は広川和之名義。 脚本は全部で3本書かれているがお一人でクレジットされているのは第16話のみ。 他2本は鈴木祐二さん、酒井あきよしさんと連名。 第16話「悪夢からの脱出」は広川さんが初めて書かれた脚本。 中村亮之介の名前は他では使っておらず お身内の方からとったペンネームだそうです。 DVDーBOX解説には「20代で監督に」とありますが25歳だったそうです。 高専(DVD-BOX解説には都立高校とありますが、都立高専の間違いです)中退後 業界入りしたそうなので、それなりのキャリアはあったのでしょうが、やはりお若いです。 バルディオス以前から若く見られないよう年齢をぼかしたり 上に偽ったりもしていたそうです。 トレードマーク?のヒゲも若く見えないように・・との理由もあったそうです。 色んな人に断られた結果のオファーだった。 「自分(広川)でなくては!」って話ではなかった・・ (監督には)経験不足だと解ってはいたが、やりたい気持ちが先にたってしまった。 結婚して子供も居て、さあ、これからって時期だったし・・ 未だに後悔ばかり頭をよぎる。 もっと頑張れなかったのか、踏ん張れなかったのか。 いろんな方がそれぞれの立場で頑張ってくれたのに力が足りず申し訳なかった。 バルディオスの時の悔しさをばねに猛勉強したことが 以降の仕事に反映したのは事実だが 未熟さばかり目立つので見返すことはほとんどない。 DVDも持っているが未開封のままだ。 そんなバルディオスを未だに好きで居てくれる人が居るのがわかって 少し気持ちが楽になった。 そんなことをおっしゃってました。 「バルディオス」は「精力的な」みたいな意味合いで 国際映画社の方(弟さんの方)が付けたネーミングだそうです。 バルディオスに関しては細かいエピソードをたくさん伺っています。 それは広川さんの口から語られるべき事なので、誰にも話してませんでした。 お亡くなりになったからと言って勝手にこんなことして良いのか とためらう気持ちもあるのですが 私が話さないと伺った貴重なお話は消えてしまいます。 広川さんはマリンみたいな方でした。 マリンみたいに真っ直ぐでひたむきで、1本芯が通ってて 心の中に譲れない何かを持ってる。 豪快なのに繊細でどこか孤独。 一生懸命なのにちょっと報われない所があるのも似てました。 バルディオスにはそんな広川さんの匂いがします。 初めてお会いした時、さすがはあのバルディオスを作った人だ!パネエ!! そう思いました。 文芸の世界では「処女作品はその作家の全てを表している」と言いますが 広川さんとバルディオスもそうであるような気がします。 アニメは一人では作れません。 バルディオスもたくさんの方の努力があってこそだと解っていますが 作品全体のカラーは広川さんの個性が強く滲み出ていると感じます。 広川さんにとってバルディオスは苦い思い出の多い辛い作品だったのだと思います。 でも本当に嫌で消してしまいたかったら 伺った無数の細かいエピソードを覚えていらっしゃらなかったでしょうし ファンの私に会って話してくださることもなかったと思います。 アニメ関係の方に伺ったのですが バルディオスのOPをカラオケで歌ったこともあったそうですよ♪>聞きたかったなー バルディオスの中に広川さんは今も生きている。 バルディオスを見るたびにそう思います。 |
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広川和之名義。 クレジットは演出。 師匠に当る鳥海永行さんが監督を務められたのですが 「さすがは鳥海さん」 と思わせるような良い仕事を間近で見れて勉強になったそうです。 新作部分は鳥海さんがコンテを描いているそうですが テロップにコンテの欄が無いのはなぜかとお聞きした所 劇場作品と言ってもTVのカットを多く使っていて「TVの総集編」の感が強いので あえてコンテに名前を出さなかったのだそうです。 TV版と同じように苦い思い出が多くDVDを見ることもなかったそうですが 某・動画サイトにアップされていたのを最初だけ見るつもりが ずるずる最後まで見てしまい、ラストシーンと愛のメッセージの所で 不覚にも涙が出てしまったそうです。 その時に気付いたそうなのですが 公開時、気になっていた地球全滅シーンの宇宙空間に散らばる 派手な透過光のモレパカが綺麗に修正されていたそうです。 (明らかに変な箇所なので修正されたのではないか、とのことです) 他にも一ヶ所、すごく気になってるミスカットがあるそうで だったら正しくセッティングしたテイクを撮っておけば良かった・・ 今さらなんだけど、悔しい。 とおっしゃってました。 (演出の意図する通りの映像が作れなかっただけで現行でも問題ない範囲です) |
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コンテ&演出(広川和之名義) 合体バンクコンテ&演出(ノンクレジット) 一番元気で油の乗ってる頃の作品。 合体バンクは監督の今沢哲男さんがOP,EDで手一杯なので 「合体だけでもなんとかしたい」とのプロデューサーの要請で頑張った。 作業的には3話のコンテと並行だった。 手ごたえがあって楽しんで仕事をしていたが 「ユニコ」が大詰めを迎えていたので西村純二さんに後を託して降板した。 と伺っています。 |
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助監督(広川和之名義) クレジットは助監督だが、演出処理としての仕事のマイベスト。 何年か前にDVDで見返したが、デジタル化以前に よくこんな面倒臭い処理をした物だと我ながら感心した。 と伺ってます。 私も最近ソフトを入手して見返しました。 広川さんのおっしゃる「面倒臭い処理」とはどこら辺を指すのか解りませんが とにかくキラキラしい画面で光が溢れていて美しい映画です。 オススメ♪ |
SF新世紀レンズマン 1984年劇場公開 VHSビデオとLDは出ましたがDVD化されてません。 中古を探すか動画サイトで見るしかないようです。 |
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川尻善昭さんと連名で監督。(広川和之名義) 映画冒頭に主人公の乗る宇宙船(ブリタニア号)が 大気圏を抜けて惑星に落下→不時着するシーンがあります。 初めて広川さんにお会いした時 「このシーンは打ち切りで作れなかったバルディオス最終回の パルサバーン不時着のシーンを模して作られたのでは!!!!!!」 と鼻息荒くして聞く私に 「え・・・全然違う、ただの偶然。コンテ描いたの川尻さんだし・・」 と当惑気味に答えてくださいました。 バルディオス最終回のコンテと、とても似ているので てっきりそうだと思い込んでいたのですが~ なんでもかんでもバルディオスに結び付けてはいけない と言う良い見本ですね。 |
80年代半ばから90年代半ばまで海外でお仕事されていたそうです。 詳しい時期は伺ってないのですが(帰国されてからヒカリアンの前後辺り??) 映像関係の専門学校で講師の仕事もされていたそうです。 生徒さんとは授業外でも相談を受けていたそうで、面倒見の良い先生であったそうです。 |
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広川和之名義。 監督、脚本、コンテ、演出、音響監督、声の出演、作詞 (広川さんの担当は1話~91話まで。 92話以降と次作「電光超特急ヒカリアン」は別の方が監督をされています) バルディオスで未熟で至らなかった点を勉強と経験で身につけ全力で作った。 100%自信作。 スタッフの方々には自由にクリエイティブにやってもらった上でまとめることが出来た。 TVアニメなのでスケジュールはきつく諸々大変だったことに変わりないが バルディオスで出来なかったこと、悔しかったことをぶつけるように作った。 悪役の3バカトリオ(ブラックエクスプレス、ドジラス、ウッカリー)のコンセプトは 「本当に悪いことはやらない」 ちょっと笑っちゃうような、それ無理!! みたいな突込みが入るような悪事しかしないよう制限をつけた。 3バカが悪役になりきれなくてヒーローサイドのヒカリアンと なあなあになってしまいがちなので 3バカの上司設定の悪役、シルバーエクスプレスを登場させた。 もうすぐヒカリアンを見てた子が(アニメ業界に)入ってくるよ。 それが楽しみだ。 そうおっしゃってました。 広川さんの声の出演は第63話「巨大マリモ出現!」のパパマリモン。 成り行きでしかたなくやられたそうです。 なんて言ってるかわからないのですが、これは「マリモ~」のセリフを わざと解らないように加工したのだそうです。 広川さん以外にも音響制作や調整(ミキサー) 調整助手の方々が声の出演をされているそうです。 作詞は「オレたちゃブラッチャー」「機関車と人生」「ヒーヒーカレーの子守り歌」の3曲。 劇中で時々流れる他は 「超特急ヒカリアン トラベルDJショー」 と言うCDに収録されています。 (広川さん作詞の3曲が全て入ってるCDはこれだけです。 品薄らしく入手はやや困難なのですが とてもいい歌なので興味のある方は探してください) このCDは歌だけでなく主要キャストによるミニドラマも収録されているのですが ドラマ部分の演出も広川さんが手がけられています。 事実上のパイロットフィルム(玩具とセットでスペシャルビデオとして発売)と 広川さんのTVアニメ版では各キャラの性格設定、キャスト、スタッフと大幅に違います。 ヒカリアンはTVアニメ化以前にトミー(現タカラトミー)が玩具を企画→販売。 販売促進のタイアップとしてTVアニメ化されたものであり基本的に玩具が先です。 TVアニメ放送中に「現場からの逆襲」と称して テツユキの乗る「テツユキロボ」を玩具化できないかと アニメ班から提案したそうなのですが叶わなかったそうです。 ヒカリアンはナニゲに作画陣が豪華! 越智一裕さんが脚本、演出、作画を務めた 第36話「思い出は時の彼方に・・・」第73話リゾート大パニック!」や 亀垣一さんがコンテ&演出、作画を本橋秀之さんが勤めた第48話「宇宙特急トライZ」 金田伊巧さんがコンテ、演出、作画を務めた第49話「無敵!剣豪ロボ」 (金田さんがハワイに行かれる直前です。 渡米の前に1本・・みたいな形で作られたと伺いました。 越智一裕さんのブログ「金田さんとの最後の仕事」でもヒカリアンのお話が出てきます。) などなど作画マニアには美味しい作品。 DVD化されていないのが残念です。 (話数はVHSビデオ 超特急ヒカリアンJHRに準じます) |
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ヒカリアンの主演女優さん4人のお芝居の舞台演出。 詳しい時期や演目は不明です。 出演者の方から依頼され引き受けた。 全員のスケジュールが合わなくて 10回程度しか稽古が出来なかったけど何とか形になった。 ゲネプロを撮影したVHSビデオの編集をいつかやろう、と思っているのだが なかなか手がつけられない。 と伺っています。 |
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監督(廣川集一名義) 静岡県掛川市にある吉岡彌生記念館の依頼で作られた作品。 (監修、発行も吉岡彌生記念館になっています。) 作画は斉藤格さんが務められています。 スケジュールも予算も厳しかったが良い物が出来た。 格(斉藤格さん)がとても良い仕事をしてくれて感謝している。 これから大人になる子供たちが見るに相応しい良い作品になった。 先方にも満足してもらった、自信作だ。 そうおっしゃっていました。 静かな、とても力強い作品です。 13分と短いながらも少女期から晩年まで70年あまりの時間経過を分かりやすく きれいにまとめるだけでなく 見る者に共感を与える作りになっています。 キャラクターデザインは名作シリーズを思わせるわかりやすい造形です。 語りかけるようなナレーションと共に 瞬きをする、目を細める、 などの細かい動きに主人公の強い意志を感じます。 廣川さんからこの作品について 「人がいないから監督って言うか、何でも屋みたいなもの」 「時間も厳しかった」 とお聞きしたことがあるのですが、そのようにはとても思えません。 分かりやすくてとても良かった。 仮に廣川さんの作品、と知らずに何かの折にたまたま見たとしても 今の、なんだか良かった ってすっと心に残ってしまうんじゃないかと思いました。 この作品は教育目的の側面を持っているそうで DVDは掛川市内の小中学校に配布されたたそうです。 掛川動画チャンネル 女子医学教育にかけた生涯~吉岡彌生物語~ にアップされています。 |
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両作品ともコンテ&演出(廣川集一名義) 人づてにこの作品の関係者の方から、廣川さんについてお聞きしたことがあるので それを書きます。 (廣川さん自身から何か伺うことはありませんでした。) 「とにかく粘る方」 「非常にきびしくフィルムを作っていく事で、ご自分のテンションもあげていく」 「言ってみればまさしく「昔気質の職人」と言う印象だった」 イナズマイレブンGO放送中に体調がよろしくないので降板されたと人づてに伺ってます。 廣川さんの遺作となりました。 本当にお疲れ様でした。 |
広川さんはバルディオスの監督でアニメ全般では演出家。 でも私はあらためてお仕事を振り返ってみて 広川さんの本質は映像作家だと思いました。 音楽の天才と呼ばれる人は頭の中に常に音符(楽譜)がくるくる回っていて 新しい曲を作る時はその回ってる音楽の一部を取り出して作る って聞いたことがあります。 広川さんはその映像版。 バルディオス1話コンテを拝見しても文字情報の脚本を (1話の脚本を小田原で読んできたのです) こんな画面に変える事が出来るんだ、スゲー って思ったものです。 「10代の頃に一生分じゃないかって言うくらい映画を見た。」 と伺ったことがあるのですが そのためか、引き出しが広くてご自分の頭の中のイメージを 映像に差し替える能力が高かったのではないかと思いました。 広川さんとお話してるとあまりの内容の濃さ、専門性の高さに まるっきりついていけなくなる事が多々ありました。 (私がバカだからだと言うのはとりあえず、置いておいて) 映画も音楽も文学も詳しくて頭の中が倉庫みたいにぎっしり詰まっていて 頭の回転が速くて、ものすごくカンが利く方でした。 (多分、目の前の相手が何を考えて何を思っているか、おおよそ察していたと思います。) そんな広川さんの初監督作品 「宇宙戦士バルディオス」は世間的な高評価は頂いてません。 でも出来ることなら出来上がった作品そのものだけでなく過程も見て欲しいです。 頑張って頑張って上を目指した。 ものすごく高いところを目指したし、目に映っていたけど 色んな事情で頂上には届かなかった。 (29話とか十二分に届いた回もあるのですが) 広川さんや多くのスタッフの方が死ぬ物狂いで登った崖のいたるところに 無念の爪あとが残されているはずです。 バットエンドで救いようがないお話ですが そういう意味ではとても若々しい、フレッシュな作品です。 私はバルディオスのそんなところが好き。 みんながみんな認めてくれないかもしれないけど 本当に素晴らしい作品です。 広川さん。 今は好きなお酒を飲んでたくさん寝て、ゆっくり過ごされているのでしょうか。 でも広川さん。 私にはこうおっしゃっていましたよね。 「仕事が好きだ」「生涯、現役で仕事がしたい」って。 だからあちらの世界でもなんか作ってるんじゃないかなーって睨んでます。 今度はあんまり無理しないで良い作品を作ってください。 本当にお疲れ様でした。 バルディオスをありがとう、ヒカリアンをありがとう、吉岡彌生をありがとう。 たくさんの時間を、何かとても大きな物をありがとう。 ありがとうございました。 |
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(2023年6月リンク等修正)