OPと音楽について 追記
以下は2007年から数年に渡り広川監督からお聞きしたOPと音楽に関するエピソードです。
全体の構成を考えてここ入れるのがベストかと思い追記しました。
私が個人的に伺ったお話で広川監督以外の方に事実確認はしておりません。
今までに無い何か新しい感じ、ロボットアニメぽっくない物を目指していたそうで
OP,EDの歌手を決める際、所謂アニソン歌手は考えてなかったそうです。
広川さんの念頭に長谷川きよしさんのイメージがあり、キングレコードの藤田純二さんとの打ち合わせの際その旨を伝えた所
「ぴったりな人が居ます!」と伊勢功一さんの名前が挙がり、オファーした所引き受けてくださったので伊勢さんに決まったそうです。作詞の保富康午さんはキングレコードの紹介で決まったそうです。
OPはロボットアニメ臭くない、自然の美しさを取り入れた物にして欲しいとオーダーしたそうです。音楽担当の羽田健太郎さんは宝島(羽田さんのアニメ音楽第1作)以来、羽田さんのファンだった広川さんが
恐る恐る・・・と言う感じで名前を出したところ、藤田さんが以前羽田さんとお仕事でご一緒されて面識があり
オファーしたところ快諾してくださったそうです。
(このエピソードはロマンアルバム、ディスクユニオンの復刻CD解説にも紹介されています。)どうもこの時期、羽田さんは「来る仕事は基本、引き受ける」のスタンスでいらっしゃったようで
(雑談中に羽田さんが「一日4時間は寝るようにしてる」とおっしゃってたそうで、
大変、精力的にお仕事されていたそうです。)
たまたまスケジュールが空いてた?ことも関係していたらしいです。
これはバルディオスにとって、とても幸運なことで羽田さんには大変助けてもらった
録音時に録音監督の小松亘弘さんと「絵が多少アレ(一部の戦闘シーンとか)でも羽田さんの音楽で格好が付く」
と話していた、ともお聞きしました。現行の決定版のOPの前に第一稿のOPがあった(没版)のですが
決定版より全体におとなしく平坦な曲だったため(もしかして羽田さんも遠慮があったのかも?)
「もう少し〜(ドラマティックに〜)」と具体例としてストラヴィンスキーの「春の祭典」(you tubeに飛びます)を上げたところ
現行版のOPを仕上げて下さったのだそうです。(イントロが似ています)(ロマンアルバムエピソードにある)羽田さんにサインして頂いた宝島のLPは宝物で大事に持っている。
バルディオスの音楽はどこに出しても恥ずかしくない、素晴らしい自慢の音楽だ
とおっしゃってました。(2015年3月)
OPの絵コンテです。 当時から持っていた方のご好意で 取らせて頂いたコ○ーです。 私は知らなかったのですが TV放送中は吉祥寺にあった「あいどる」 と言うアニメショップで バルディオスの資料(セル等)を売っていたそうです。 今までは廃棄処分していたセルが マニアの間で需要が高まり こりはどうやらお金になる!? つーことで あっちこっちに専門店が出来たようです。 供給元はもちろん製作もとのプロダクションなので お店はプロダクションの近くにあります。 (当時葦プロは杉並にありました。 ・・・今も杉並だけど) 要するにプロダクションごとに 資料を売っているお店も違ったわけです。 中学生の私はそんなことも知らずに 全然違うお店(家から比較的近い店)に行っては 「バルディオスのものってないなー やっぱマイナーだからかなー」 などと嘆いていたわけです。(バカ) 映画化が決まってからは東映系アニメショップ「ぺろ」でも コンテやシナリオを売っていたそうで (未放映分のシナリオやコンテも売っていたそうです) なのでこのコンテも元をただせば前記の「あいどる」か 「ぺろ」の商品だったのかもしれないです。 放送終了から26年・・・ いまこんな物が見れるもの、 ずーーーっと保管してくれていた方のおかげです。 ありがとう、ありがとう! 全部で21枚あり描かれたのは監督の広川和之さん。 作画はいわずと知れた上條修さんです。 番組の顔とも言えるOPは複数の媒体にインタビューが掲載されてますのでちょと抜粋。 (発行順) |
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加藤博さん(プロデューサー) (前略) すでにみなさんご覧になっておわかりかと思いますが「宇宙戦士バルディオス」は、従来のロボットものメカものとは違います。 できるだけ人間的なドラマを展開していきたいというのがねらいです。 だからOPでもアクションを見せるよりは、人間ドラマを描く全体のイメージを打ち出すことのほうに力を入れました、 (中略) ともあれ「バルディオス」のOPについては、作品全体のひとつのイメージフィルムという観点でみていただければうれしく思います。 徳間書店「アニメージュ」1980年12月号 広川和之さん(監督) (前略) 絵コンテの際は、詞と曲のムードをなるべくそこなわないように心がけました。 決め音に、作画やカメラ・ワークの決めを合わせるという実は古風な手法が、一種の‘爽快さ‘というような部分を増幅する効果を出したのでは・・・と自負しています。 しかし、その絵コンテ上の狙いも作画抜きでは語れません。新潟在住の上條氏には、今回かなり無理な要求をしたのですが、それをさらに上回る原画をあげてもらいました。長年来の友人でもある彼には、本編の方でもよい仕事をしてもらいましたが、やはりこのOP、EDが彼の代表作であるといっても過言ではないでしょう。 (後略) 葦プロダクション発行「宇宙戦士バルディオス」 1981年発行 |
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上條修さん(キャラクターデザイン) そうですねえ、OP、EDといっても広川氏のコンテがしっかりしていましたので、ふつうの原画を描いたっていう感じで、とくに苦労したという部分はなかったですねえ。楽だったんですよ本当に。 だから僕の仕事としては、広川氏のイメージの絵コンテに、多少枚数入れて、タイミングをいじったりしたくらいなものですから。 はじめに、音楽のテープを聴いて描くんですけど、この場合、リップもシンクロもありませんし、苦労という苦労はなかったですねえ。 本編も描いているんですけど、ぼくの場合デッサンが狂うっていうクセがあるので、気をつけたっていえばそのへんと、・・・そうだなあ、広川氏からの注文でもあったんだけど、止めポーズを決まったものにしようということは考えました。 だから動きのパターンをつくってから、あらためて止めた絵を描くというようにしました。 (後略) 葦プロダクション発行「宇宙戦士バルディオス」 1981年発行 広川和之さん(監督) (前略) 音楽にある冒険をしたことが成功したと言う気がする。 (中略) 絵をBGMのリズムにシンクロさせ、音のキメと絵のキメをピタッと一致させたこと。そのため、テンポのあるメリハリのきいたOPになりました。 一方、動画の面で力を入れたのはトメの部分。セル枚数の制約上、トメが多くなり、それだけ重要に重要な箇所になるわけだが広川氏はせりふ、色、レイアウト、絵に凝り、アップが続いてもあきないようにしたという。 (後略) 徳間書店{アニメージュ」1981年5月号 |
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広川和之さん(監督) (前略) 当時、上條氏が新潟にいましてね、直接打ち合わせが出来ないので、しかたなく絵コンテを送っておいて、あとから電話で打ち合わせをしたんですよ。打ち合わせをしてから作画アップまで、10日間くらいだったと思います。 とにかくスケジュールが無かったんでね、いいなと思ったカットもあったんですが、欠番にしちゃったんですよ。 (中略) スケジュールが無くてしかたなく切ってしまったんですよ、残念ですね。 (後略) NO18の一連のカットの事だと思われます 秋田書店「マイ・アニメ」(廃刊)1981年10月号 ちなみにこの↑「マイ・アニメ 1980年10月号」にはこのOP絵コンテから再構成した 描き下ろしのOP絵コンテ (豪華本に載ってるようなカラーの) が掲載されています。 興味のある方は探してみてください。 ところでこのNO4の注意書き ←「アイキャッチ用」とありますが、本編にはないですよね。 最初は作る予定だったのかな? あとラストの方でも変更箇所があります。 実際のOPのラストは ←このNO4で使われたカットを反転させたカットのようですし、ここも変更の理由は もしかしたら「時間が無かったから」?? 放送分OPを見慣れちゃったし、あれはあれで素晴らしいのですが、こうやって変更箇所を見つけると、こっちのカットも見たかった! って思っちゃいますね〜 この手の資料に詳しくないので気の利いたコメント出せなくてスンマセン。 まー、あれですね、見れば全て!つー事で。 |
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ちなみにバルディオスのOPはYou Tubeでも見れます。 (削除されてたらごめんなさい) 興味のある方はこちらからどーぞ。 (音が出るので注意) |
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(2007年5月)