第15話「いつわりの平和会議」 
首藤剛志脚本 五代進コンテ 二階堂主水演出 
1980/10/6放送


世界放送から派遣された敏腕の報道局長エミー。
自らを戦いを疑問視する人民の代表と称し、独断でアルデバロンとの停戦交渉に乗り出していく。
敵の罠だと確信しながら高まる世論をどうすることもできない連盟とBFS。
危惧していたとおり会議は血にまみれ、最大の惨事を招く結果となってしまった。
死を持って責任をとろうとするエミーを引き留め、マリンは言う。
「死にたいなら死ねばいい。だがまだしなくてはならないことがあるはずだ。」


なんともハードな内容の15話。
「この作品は最後のほうへ行くにしたがって面白くなってくる。」
とはジェミー役の横沢啓子さん談ですが(豪華本インタビューより)
ここでもう、その兆しは見えているんじゃないかと思います。
これまでは時に叙情路線を突っ走ったりと回によってムラがあったのですが
物語りも中盤に差し掛かった今、作品カラーを決定付けるような話が多くなります。
15話をつまらないって思う人はいないんじゃないかなあ。
スピーディな展開にこの先どうなることかとハラハラしっぱなしで過ごせます。

15話で起こった南極での戦闘。
「地球攻防戦史上、最大の犠牲者を出した」とあるので
後に起きる大洪水に次ぐ規模の死傷者が出たはず・・
どう考えてもこの責任はエミーにあるのですが、見る者にさほど反感を与えないのは
キャラクターとしての作りの良さにあると思います。
同じことをしてもこれがむさいおっさんだったら受け手の印象はかなり違う。
色指定を含めたデザインの良さと作画のフィット感に加え
この声しか考えられないような増山江威子さんを豪華にキャスティング。
小道具に実在の香水を使うあたりにも作り手のこだわりを感じます。
12話「世界連盟から来た男」のハーマンや
17,18話「裏切りと暗殺の旅路」のデグラスなんかもそうだけど
バルディオスはゲストなのに妙に印象が強いキャラが多いです。
レギュラーの雷太やオリバーよりもよっぽどキャラ立ちしてるような気すらしちゃう。
エミーは広川監督もクインシュタインとともに好きなキャラだったようですね。

エミーの印象が強くて見落としちゃいそうですが15話はジェミーも良かったですよ。
極論に走りすぎるマリン&エミーの抑えとしてジェミーの存在があると思うのですが
自分の意見を主張し行動に移していく姿は見ていて気持が良いです。
全編通じて添え物扱いのジェミーですが、今回は
BFSの一員として対等に仕事しつつも年頃の女の子らしい一面も見せてくれます。
シリーズ通してこのキャラだったらマリンの気持ちも少しは動いたかな??
絵もOP、EDに近くて見やすいし、15話のジェミーがもともとのキャラ設定として
あるべき姿なんじゃないかと思います。
エミーとともにこの回のジェミーは後に首藤、上條両氏が組んだ
ゴーショーグンのレミーに通じる物を感じますね。

さて本編。
DVDの解説ではこの話を「ペンの暴力を描くエピソード」とありますが
それ以上に理想と現実の話なのではないかと思いました。
確かにエミーのしたことは自己中心的で傲慢でもありますが
それは世界連盟のお偉いさんだって良い勝負。
こちとら庶民ですからね。
どちらにより共感できるかと言えば、エミーの方でしょう。
理想を追い求め突っ走るエミーに対して現実は違う、と諭すは普段はドリーマーなマリン。
そうは言っても今まで見せてなかったんだろうし
自分たちがどういう(考え方の)敵と戦ってるのかもろくすっぽ知らされてなかった様子です。
S-1時代に苦労したマリンと平和ボケ気味のエミーとでは
所詮育った庭が違うと言うところでしょうか。
どちらの言い分も分かるジェミーを間に挟んで
1話からの流れやアフロディアの悪人ぶりを見続けた視聴者サイドに
先の展開を予想させつつお話は進みます。

劇中にあるエミーのセリフ
「あなた方は人々の悲しみや苦しみが見えないんだわ。
人間らしさが戦いの中で麻痺しているのよ。」
とはこの回で戦争マニアと評されたマリン達BFSに向けられた言葉ですが
マリンは後の21話「甦った悪魔(後編)」の中で
やはり戦争マニアのアフロディア相手にこう言っています。
「メカとメカとのぶつかり合いの中で生身の人間の命を忘れていたのかもしれない。」
それなりの時間を経てエミーの主張はマリンの中でこなれ、
アフロディアにも伝わっていったのでしょうか。
と、これはこの先のお楽しみ。
何か結論めいたものが出るわけでもなく、
見る者に疑問を投げつけこの話は終わります。

4話で開戦して以来、当たり前のようにだらだらと戦ってきましたが
両者とも互いの生存をかけた後には引けぬ戦いをしているわけです。
ではその中でどんなドラマを見せてくれるのか。
バルディオスってそもそもそういうお話ですよね。
単発エピソードですが一度はじめた戦争をやめることの難しさという現実のテーマを交え
改めて緊張を呼び覚ましてくれる内容になってます。
繰り返しの視聴に耐えられる、って言うか何度も見直すことによって
新しい発見もあるような深い作りの15話。
前半のおこちゃまな演出が難アリですが見てよし、読んでよし、聞いてよしと
三拍子そろってバルディオスワールドに誘い込むこと間違いなしです。



15話シナリオ執筆の首藤剛志さんのコラム
WEBアニメスタイルコラム シナリオえーだば創作術 首藤剛志著 第28回 『バルディオス』に香水を……
に関連エピソードが載っています。
(2011年3月追記)

第16話「悪夢からの脱出」 
中村亮之介脚本 広川和之コンテ 山田雄三演出 
1980/10/13放送


手が動かない・・・
マリンは戦争と自らの殺人行為への罪悪感で心身症に陥ってしまう。
焦るほど空回りを続けるのはマリンの深層心理は戦いを望んでいないからなのか。
だが「あなた一人の命ではない」と言う博士の暗示と共に
自らの意志でくさりを断ち切り戦闘に復帰するのだった。


あーーー。
こうやってあらすじを書いちゃうと身も蓋もないと言おうか、なんとも難しい話ですね。
要するに戦争状態においてPTSDに陥ったマリンがみんな(主に博士なのですが)
の助けを借りて復活する・・というお話なのであります。

ロマンアルバムの中で自ら暴露されていらっしゃいますが
16話を書いたのは監督の広川和之さんです。
他にも30話「地球不毛の日」や最終回に当たる39話を連名で書かれているのですが
こちらは本名(?)の広川和之となっているので
16話の中村亮之介と言うのはペンネームなんでしょうか?
な〜んとはなしに、お忍びで書いちゃった感が漂ってしまうはロマンアルバム内でこの16話を
「大失敗作です。」とおっしゃってるからその先入観が抜けないせいでしょう・・・
大失敗??ホントに??
と言うわけで以下、感想です。

作画は大変美しいです。
マリンなんて可愛いし。
前の15話がバリバリ上條入りつつ、話も大変ハードなので続けて見ると違和感があるくらい。
私的には14→16→15の順で放送してくれると見やすかったかも。
Bパートなんて8話「ヒマラー山脈の決闘」で折り紙付きのスタジオZ5も担当していますから
思わず見とれちゃうほど綺麗です。動きも良し。
そうするとお話の方に問題が?

問題と言ってしまうと言い過ぎなんでしょうけど、ちょっと詰め込みすぎたかなあ〜・・と。
「マリンが心身症→やがて回復」のお話の柱以外にも
ジェミーの献身、見守るオリバー&なにやら微妙な三角関係、
意味深なガットラーとアフロディア、地球=Sー1第二の伏線、
と重要なエピソードがバシバシ入ってきます。
最後にマリンは立ち直るのですが、後半部分では戦闘シーンもあるので時間が少ない。
なんだか悩んだ割にはあっさり回復してるなー、マリン・・
みたいに思えちゃうんですね。

マリンをあのまま悩みっぱなしの不安定状態で置いておくわけにもいかないし
結局は治らなきゃ話として成り立たないわけですから、見せ方にもう一ひねり欲しかったな、と。
16話はまず冒頭にマリンの悪夢、途中でも博士が深層心理に入り込んでの治療、と
イメージシーンが多いんですよ。
よく「夢の話はつまらない(聞くのが辛い)」って言いますよね。
この話がつまらないわけでも見るのが辛いわけでもないけど
処理の仕方がもう少し違っていたらなあ・・・とは思います。
でも30分番組で起承転結させて戦闘シーンもちょっとは入れなきゃならないんだから
このあたりはしょうがないのかな。
テーマが重く、全体の中では必要なエピソードだと思うのでその辺が残念。
他を削ってマリンの心理描写一本に絞った方が・・と思うんですが、
そうすると今度はテレビアニメとしては重すぎて
引いちゃう部分も出てきちゃうかもしれないですよねえ。

今も昔もこの話は好きなんですが
ロマンアルバム発刊当時(82年)は監督の「失敗発言」は単純に謙遜だと思っていました。
(それ以前に、本に書かれたことをいちいち鵜呑みにして深読みするのもなんだかですがー)
齢三十をはるかに過ぎた今はその気持ちも分かるものがあるかなあと・・・
別のところで映画からバルディオスに加わったアニメーターの方が
「テレビ版はもし自分が作り手の立場だったら不満だらけの作品だと思う。」
とおっしゃっているのですが、この発言も肯けるものがある・・・かなと。

それにしてもここまで心身が耗弱したマリンをろくすっぽ休ませもせずに
よくまた働かせるよなあ・・BFSって。
ジェミーもマリンを心配してるようで実は自分のことばっかり言ってて役不足極まりない。
マリンを立ち直らせたのもほとんど博士一人の力だし
そうやって考えるとこの話はマリンと博士の恋愛への伏線の一つとも取れなくない?のか?
ガットラーとアフロディアの一連のやり取りもヒジョーに怪しくて・・・と
引っかかる部分は多いのにいまいち不完全燃焼気味な16話。

絵で損をしていると言われ続けたバルディオスなのに
逆に絵が良い分だけ他に目が行ってしまうとはなんとも理不尽。
それでもあーだこーだ言いたくなっちゃうのもファン心理・・・
と言うことで勘弁してください。すんません。


第17話「裏切りと暗殺の旅路(前編)」 
酒井あきよし 山内俊彦脚本 田中修司コンテ 田中修司演出 
1980/10/20放送


バルディオスを倒す事が不可能ならばマリンを見方に引き入れればいい。
時期司令官の地位をねらうデグラスはBFSと世界連盟の対立を利用し罠をしかけた。
背後に何かを感じながらも連盟に逆らえない月影。そして出た結論はマリン追放だった。
結局は使い捨てなのか。
失意のマリンの前に現れたのはデグラスだった・・・


シリーズ初めての前後編モノ。
一つ前の16話から関東では裏番組に「明日のジョー2」が始まってしまい
初回からバルディオスを見ていた人も相当数ジョーに流れてしまったはず。
次週の後編に繋ぐためにもこの17話は踏ん張りどころなのですが・・なのですが・・・・
あちゃーーーー。
今回の作画は東○動画なんざんすーーーー。
東○作画回と言えば以前にも3、5、7、9、11、14話、を担当し
そのレベルの低さ(すんませんー)は折り紙つき!!
何も言うことはありません。
無視して音だけ楽しむなり、豪快に笑い飛ばすなり、どうぞお好きなように・・・
ただしこのレベルの作画は今回で最後。
以降は落ち着いて見れる回ばかりですので最後だと思って許してほしいですね。
ガムジャードのデザインと共に・・・

さてさて。
前後編モノはオチにあたる部分が後編に回ってしまうので前編は中だるみがち。
この話もガムジャードがどうたら、第二基地がどうたらとまどろっこしい。
他にもいらなくなったからって機密事項を握っているマリンを追放せんでも・・とか
ちょっと前に南極であんな目にあってるのにアルデバロンの言うことを丸ごと信じるのは??と、
お話の根幹にかかわる部分にも引っかかりを感じます。
ま、その辺はひとまず置いといて先を急ぎましょう。

この「裏切りと〜(前後)」は
映画でもほぼ同じエピソードが登場するので何かと比較しちゃいます。
作画は一部新しく描き下ろされていて綺麗ですね。
問題は声。
劇場版の柴田ガットラー&戸田アフロディアは達者でさらさらっと流れて聞こえちゃう。
上手いだけにつまんなく感じちゃうんですよ。
反してTVの青野ガットラー&神保アフロディア。
この二人が相対峙するシーンのなんちゅー生々しさ。
二人の関係はテレビでも映画でも決定的な描写はなく
男女関係があったのか、なかったのか、仮にあったとしてもそれがいつの事なのかはまったく不明。
全ては藪の中で見る者の判断に委ねられているんです。
今までも二人になるシーンではそれなりの親密さはあったのですが
17話でマリンを味方に引き入れるか否かを話していた時ほど
むき出しの男女を感じたことはなかったですね。
下世話な言い方だけど痴話げんかしてるみたい。
生々しくていかにも人間くさい。

マリンはテレビ、映画、変わらずに塩沢さんが演じているので
次の18話、アフロディアとのからみも聞き比べてみると・・・
やっぱ、違ーう。
冷静な戸田アフロディアに対して神保アフロディアはここでも感情的で
次の「マリンを殴る」と言う行為に対してだって説明付けが変わってきちゃうもん。
そうやってこの三人だけ見ていてふと思った。
この話はマリン、アフロディア、ガットラー、の
一風変わった三角関係を描きたくて作ったのではないかな、と。

3人を絡ませるには皆を同じ場所に立たせなければならなく
まさか、ガットラーとアフロディアの二人をBFS基地に来させるわけにはいかないですよねえ。
そうかといって互いの基地以外の第三の場所を提供するのは舞台立てが難しすぎる。
やっぱりマリンに来てもらうしかない??
そう考えていくと(マリンが来るまでの)設定に多少無理があっても仕方がないし
ガムジャード云々の謀略を出すことによって地球サイドの勢力争いや
相変わらずのマリンいじめが描けていいんじゃーん?

てな風にこの話を分解してみたのですがどうでしょう??
続きは後編で語らせていただきまする。


第18話「裏切りと暗殺の旅路(後編)」 
酒井あきよし脚本 山室清二コンテ 大庭寿太郎演出 
1980/10/27放送


もう地球人には愛想が尽きた。
マリンはデグラスの誘いに乗り、単身アルゴルに乗り込むと
忠誠の証としてBFS基地の所在を教えた。
マリンはそんな男ではない。敵として憎悪の対象であって欲しい・・
願いにも似たアフロディアの内心を知ったかのように、
機を見て脱出したマリンは武器庫を破壊しガットラーに銃口を向ける。
アフロディアに阻まれガットラー殺害は果たせなかったものの
地球に帰還したマリンは暖かく迎え入れられるのだった。


で、後編。
ストーリー的にはマリンはガットラー殺害という悲願をみすみす逃したあげく
無傷で地球に生還する、というちょっと見むちゃなお話となっております。
でも私的には先に述べたようにそこら辺のシチュエーションはあくまで舞台設定の一つであって
本筋は三人の人間模様を描くところにある、と思っていますので
さら〜っと流して頂けると有難い。

この後編でマリンは初めてガットラーに会うんですよ。
1話では会議場の外で待っていただけだし、
S-1時代に敵対勢力の一青年と軍の最高責任者が会うことはまず考えられない。
クーデター以来、初めて目にした憎っくき男、ガットラー。
しかもアフロディアもすぐそばにいる。
役者はそろった!さあ、どう出る??マリン。

ガットラーとマリンは初対面。
でもアフロディア的には先の11話「情け無用の戒律」でもマリンに会ってるんですよ。
不本意にも屈辱的な形で命を助けられ、しかもその事実はガットラーにはナイショ。
その上マリンはいったんは命運を共にした地球を捨てて
アルデバロンに寝返るって言うんだからただ事じゃない。
もーーーーーーっ、アフロったらはらわた煮えくり返っちゃうわよ!!
ってこれじゃ下世話すぎ?
画面を100倍かみ砕いたらこんな感じでしょう。多分。
それくらいここの描写は面白いんですよ。

またまた映画と比べてみると分かるのですがテレビのマリンの言い草はすごい。
アフロディアと押し問答の末(これがまた痴話げんかっぽい)
「頼むぜ、アフロディア。」って下手に出るように微笑さえ浮かべちゃってます。
その上スケコマシ(死語)のように甘く語ってくれるから見てるこっちもぞくぞくきちゃう。
こんな言われ方したら女なら誰だってカチンときます!
ちなみに映画でのこのシーン、テレビ版の絵を流用しているのですが
「仲良く頼むぜ。」と甘い声ながらも一見爽やかな好青年風。
おお、マリン!扱いが違う。(笑)
どっちにしてもバチーンと一発食らわせて第一ラウンド終了。
ガットラーはアフロディアのビンタに多少驚いたものの
全ては作戦の一貫と冷静に事を進めてさすがに大人の印象です。

次に三人が会うのはお話も終盤。
武器庫を破壊したマリンがガットラーに銃を突きつけてる場にアフロディアが割って入ります。
アフロディアが来る前にガットラーを倒すに十分な時間があったのに
「わしを殺せばS-1星人は滅びる。」
の問いに屈したのか、口論ばかりして肝心の引き金は動きません。
ガットラーを殺せば地球はリーチを取れるけど指導者を失ったS-1星人の運命は分からない。
この構図は幻に終わった最終回、冷凍エリアでの対決シーンと同じです。
この場のガットラーが丸腰なのもポイントが高い。
せめて武装してたらマリンも戦えたのに・・・
結局マリンはどれほど時間がたってもガットラーを倒すほど強くはなかった。なれなかった・・・
何のために戦うのか、いやこの戦いに未来はあるのか。
ほんのちょっぴり、作品に根ざすテーマをかすめてマリンは地球に帰ります。

さて軟禁されていたマリンがなーんで無事に帰れたって言うと
アフロディアが出しちゃったわけですよ。
あんたら、ほんとに敵味方なの??しょーがない司令官だよ、アフロディアも。
デグラスの作戦もなかなか良かったと思うのに
最後には責任を擦り付けられちゃってホント、お気の毒。
でもマリンがここで死んじゃったりこのままアルゴルに居座っちゃったら話が進まないから
この辺もスル−して下さいね。

で、問題のアフロディアがマリンを助けちゃうシーンなんですが
11話以来、再度二人っきりになれるチャンスが訪れます。
ここでは入室したアフロディアが一瞬イヤリングを身に付けてる絵が入りますが
以後の画面では確認できません。
多分イヤリング姿で統一させたかったのだけど
作画ミスで出来なかったんじゃないかなー。
このイヤリング(とサングラス)は滅多やたらに付けたり外したりしているわけではなく
基本的にはアフロディアの内面描写の小道具だと思います。
イヤリングをしているアフロディアは普段に比べて女度が高い。
マリンとの絡みのアフロディアには髪を下ろしたり、イヤリングを付けたりと
女を匂わせる描写で描きたかったのかな、と。
さすがにこの辺り、映画では抜かりなくイヤリング姿で描き下ろされています。
しかも殴られた拍子に軍帽が落ちただけでなくサングラスも外れ、より女っぽい。
続いてマリンがアフロディアを押し倒した状態で
二人の顔が交互に映しだされ、さらに男女を感じさせる描き方になっています。
ここばっかりは映画のほうが良かったかな。
テレビの抑えた描写も雰囲気出してたけどね〜

それからガットラーとの対決シーンをはさんで三度のツーショット。
周囲に人だかりはありますがアフロディアを人質に取って逃亡、とあって
この場での会話は二人にしか聞こえません。
去り際のマリンのセリフにはっとするアフロディアですがそれもそのはず。
「お前さえ来なければ、云々」は意訳すれば「お前にだけは手が出せない。」と言うことであり
考えようによっちゃーこれは立派なラブシーンですよ。
あーあ。
また二人してヒミツ作っちゃったねえ。
ちなみに当時の同人誌上で「なぜマリンを助けたのか?」の問いに対して広川監督は
「表面上は敵討ちのためだが、その実体はやはり憧れ。
(自分の思った通りのマリンでいて欲しかった。)」とおっしゃってます。
以降のアフロディアが人間として、男としてよりマリンを意識すること間違いなしですよ、ホントに。
お互いそんなに好きならちゃっちゃとくっついちゃえばいいのにねえ。(ムリだって!)

テレビ版のマリンとガットラーの対立はあくまでも互いの信じるものを基盤にしていて、
アフロディアを異性として意識するのはそれぞれの勝手。
映画で描かれたようなべたべたの三角関係ではありません。
映画では先のマリン逃亡の後に卑猥な微笑み(笑)を浮かべたガットラーが登場したり
最後を飾る男同士の対決シーンにアフロディアがしゃしゃり出てきたりと
いちいち小うるさい。
17,18話はテレビと映画の違いが鮮明で比べてみると意外に面白いっす。
でもやっぱりテレビのほうが好きだな〜〜〜〜〜って話それましたね。

三人のことばっかり書いちゃいましたがBFSと連盟の関係図も良かったと思います。
バルディオスはぎすぎすしてる位の辛口がお似合い。
苦労の末か、この後のマリンは異星人扱いされることも無く信頼関係を取り戻していきます。
・・・それにしてもラストの月影のセリフ。
「俺をBFSに置いてくれるかい?」のマリンの問いに対して
「ああ、死ぬまでな。」だってさ!(爆)
それは死ぬまでこき使うって事ですかね
もう少し言い様がないんかい!?
と細部には突っ込みどころ満載で爆笑シーン多し。
デグラスも良かったですね。
資料(バルディオス大百科・劇場版)によるとデグラスのキャラデザインは決定までに
二転三転したんだそうです。
やけにキャラ立ちしてると思ったらそれなりに考え抜かれた人だったんですね。
この人の胡散臭さがいい味出してました。

と、ドラマ部分とは別のお楽しみも満載で二本見るとお腹いっぱい!
それなのに我がバルディオスは視聴率不振のため
やがて放送時間を日曜早朝に移されてしまうのでありました〜
ジョーが憎い〜〜〜〜〜〜〜〜

  

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(2004年2月)