光の中へ    



人々を乗せた小型機は夕暮れ近くに連盟本部に帰還した。
マリン達を迎えたのはハーマン率いる連盟軍だった。
この日からマリンと雷太は再びハーマンの指揮下に配属されていた。
マリンにとってハーマンとは月影と共に、時に頼れる父として映る日も多かった。
連盟軍最高司令官でありながらマリンと連盟の間に入り仲介の労を惜しまなかった。 
だがこれからは違う・・・
アフロディアと共にマリンが戦わねばならない存在だった。
マリンはその事を密かに詫びた。
一方のハーマンはそんなマリンに気づきもしなかった。
噂には聞いていた物の、あまりに若く美しいアフロディアに驚きを隠せなかったからだ。
これが長く苦しい戦いを繰り広げてきた敵司令官とはどうしても思えなかった。

ハーマンはそんな内心を包み隠してアフロディアに敬礼した。
敗戦の将としての礼は尽くすつもりであった。アフロディアもやや間をおいて返礼した。
その姿はマリンの側で時折見せたたおやかな表情とは違い、彼女の生涯が常に戦火と共にあった事を思わせていた。
「こちらへどうぞ。」
だがその丁寧な口調とは裏腹に案内されたのは銃を構えた女性隊員の待つ小さな一室だった。


ここでアフロディアは全ての着衣を脱がされ体中を調べられた。
どう考えても必要ないと思えたがこれが手なのだと諦め、従った。
屈辱的な姿勢にも黙って耐えた。
だが新しく差し出された服を見た時は怒りに震えた。
軍服は彼女の誇りであり魂だった。
BFS基地では時に支給された服を身につけた時もあったが可能な限り軍服で過ごした。
ただそれだけで守られている気がしていた。
ごく簡単な肌着とシャツ、灰色のそろいの上下。
何とも肌に軽く頼りなく、心まで裸にされたようで悲しかった。
(これで戦えるのだろうか・・・)
一瞬の不安を打ち消したのは連盟護送前にマリンが言った一言だった。
「地球人に後ろを見せるな。お前の意地を見せてやれ。」
マリンはこう言ってくれたではないか。

もうここでは捕虜ですらない、囚人なのだ。だがそれでもいい。
持てる力の全てを振り絞ってでも戦ってやる。

アフロディアはBFS基地で過ごした最後の数週間を思った。
穏やかだった。
捕らわれの日々だったが全てが静かに淡々と流れていった懐かしい時間。
寄り添うように常に傍らにいたマリン。
もうここではマリンにも頼れはしないだろう。
けれどそんな事はもうかまわなかった。ただ望む物の為に戦おう。
連盟が彼女を屈服させる為に取った手段は完全に裏目に出た形となった。


アフロディアが次に向かったのはハーマンの待つ取調室だった。
ドアの左右に並んだマリンと雷太が目に映った時、痛々しそうなマリンの視線にぶつかった。
髪を後ろで束ね 質素な服を着たアフロディアはマリンの目に小さな少女のようにも思えて不安だった。
だがその目を見た時、マリンは安堵した。
アフロディアは死ぬまで戦士であり続けるのかもしれなかった。

ハーマンは彼女を席に着かせると傍らに座る初老の紳士を紹介した。
今後の弁護を担当する人物だという。
アフロディアは一通りの身上調査に反抗する事もなく冷静に答えていった。
日程や与えられた義務と権利についての説明にも淡々と無表情に耳を傾けていたかに見えた。
だが去り際のアフロディアは凍り付くような侮蔑の視線をハーマンに投げつけた。
その目はぞっとするほど冷ややかでハーマンを圧倒させた。

取り調べの間中、彼の目はどうしてもアフロディアの白い肌から離れる事が出来なかった。
簡素な着衣から見え隠れする喉元と首筋の線の美しさ、細くしなやかな二の腕は初めて知った彼女の年齢と共にあらぬ考えを呼び起こした。
ハーマンは武人としてではなく女として見た事を恥じたが、それ以上に今後はアフロディアについての認識を変えざる終えない事を確信した。


アフロディアを牢に送り出すとハーマンはマリンと雷太を呼び尋ねた。
「お前達、何か知っているだろう。あの女、何者だ。」
「何かって・・なあ・・・」
雷太は困ったようにマリンを見た。
「どうにもただ者ではないようだな。大した玉だ。」
ふーっと大きく息をはくとハーマンは続けた。
「なんとか上手く手なずけないとな、こっちがやられそうだ。」
「アフロディアはただ静かに死にたいと願っているだけだ。」
静かだが強い口調に驚いて二人はマリンを見た。
「当たり前に人間として扱えば何も問題は起こさない。基地ではそうしてきた。」
マリンは明らかに抗議していた。

室内から出てきた時のアフロディアの顔は青ざめ、目を合わせようとさえしなかった。
何かは解らないが彼女は深く傷ついたようだった。
それが許せなかった。

一瞬の緊張に割って入ったのは雷太だった。
「マリンはあの女の事を一番よく解ってるんです。
BFSでもあの女の管理はマリンがしていました。それでうまくいっていた、なあ。」
雷太は明るくそうマリンに問いかけた。
「その事は長官からも報告を受けている。
できればここでもそうしたいが、何かとうるさく言う奴も多いからな。」
ハーマンは暗にマリンもS-1星人である事が問題なのだと告げているのだった。
「それじゃあ、俺に任せて下さい。マリンは俺の下に付けてくれればいい。
それで問題ないでしょう、司令。」
ハーマンは対照的な二人の顔を見比べていたがやがて決心したように言った。
「それでは今後、アフロディアに関しては君達に一任しよう。」
ハーマンは調書を渡しながらそう言った。
「軍からも人をやるから 適当に使ってくれ。」

連盟はこの裁判を完全に市民への見せしめと位置づけ長期化を示唆していた。
アフロディアを生け贄にする事で戦いによって生じた連盟への不信と批判を逸らし、今後の統治を円滑にする為だった。
「まったく、人一人始末するには手間がかかる。」
ハーマンはその口調とは裏腹にアフロディアを案じ、裁判が短期間で結審する事を強く望んでいた。
なるほどアフロディアは見事な戦いぶりだった。
この上、不当に見せ物にする必要も無いと考えたからであった。
又、醒めた表情で動かないマリンも気になっていた。
死闘を繰り広げて来た同胞をこれ以上辱めたくないという気持ちも良く解った。
だがそれも連盟とアフロディアの出方一つであり、この上はどうする事も出来はしなかった。
「おい、これ見ろよ、あいつ二十五だってさ、知ってたか。」
雷太はハーマンが去った後の室内でそう言った。
「ま、ホントかウソか、解んねーけどな。」
二人は今後の日程や人員のローテ−ションについて話し合った後に、渡された書類に一通り目を通していた。

マリンは改めてアフロディアについての調査資料を見た。
BFSで行われた尋問の一問一答や心理テストの診断結果、本人から取った履歴などが記されてあった。
「いや・・・知らなかった。」
精神鑑定には「確固たる信念」「自然への強い執着」「複雑に織り込まれ、分析不可能な深層心理」「強い男性不信」
等の言葉が並べられていた。
どれも当たっているようで、どれも外れているようにも思えた。
アフロディアの過去についても初めて知る事ばかりだった。
(俺は今まで彼女の何を見てきたのだろう・・・)
「おいマリン、いちいち考え込んでもしょうがないぜ。」
時にマリンを現実の世界に引き戻す事が自分の役割でもあると雷太は知っていた。
「ああ・・・」
マリンは雷太の気遣いが嬉しかったが、どうにもそれを伝える事が出来なかった。
「お前があんまりばかだからよ、見てられんねーんだよ。」
「そうだな・・・」
俺は本当にばかだ・・・
そう思いながら、どうしようもないこの気持ちに飲み込まれてゆくしかない事をマリンは知っていた。


裁判は当初予定されたスケジュールを大きく外れ一進一退の体を要していた。
何日も続いて開かれる事もあれば、突然何日も延期される事も多かった。
連盟はこれをアフロディアの体調を気遣ってであると発表していたが事実は違った。
この世紀の裁判を一目見ようとする各国要人や財界人の都合に合わせて突然予定を変えてばかりいたからであった。
それほどまでに人々はこの裁判に関心を寄せていた。
いや、裁判よりもアフロディアその人に注目したのだった。
アフロディアは美しかった。
それは彼女の容貌ばかりでなく、証言内容に現れる内面の気高さや、誰をも寄せ付けない孤高の強さと共に大衆の興味を引いたのだった。
かつて皆があれほど恐れたアルデバロン最高司令官はこの場では何の後ろ盾も持たない一人の若い女でしかなかった。
だが今のアフロディアはその事実を跳ね返して余りある程の強靱さで人々の好奇の視線に、時に屈辱的とも言える詰問と戦っていた。
ごく少数の同情論もあったが、大半は勝利者の優越さでゲームを楽しむかのごとく公判を見守った。
いつアフロディアが屈服するか、ただその日を待っていたのだった。
当初予想された程の混乱も起こらなかった。
それほど誰もがこのショーの今後に期待し、裁判が滞り無く進む事を望んだからだった。

日程の急変は疲労しきったアフロディアの体をむしばんでいった。
過度の緊張を強いられた精神はいつ崩壊してもおかしくない程追いつめられていたが、それでも最後の一線に踏みとどまり決して誰も前でも取り乱さなかった。
その姿を間近で見続けたハーマンは、見かねて何度も意見したが取り入れられる様子はなかった。
連盟は当初の予定とは違った物のアフロディアという貴重な女優を最後まで有効に使いたがっていた。
ハーマンは彼女がなぜああまで強靱に振る舞えるのかが解らなかった。
戦争中のアフロディアはこれといって実体のない、遙か遠くから地球を脅かす脅威でしかなかった。
若い女である事、時として最前線に踏み込み直接指揮を執るほどの武人である事は知っていたがここまでとは気がつかなかった。

アフロディアの処刑は最初から決められていた。それは彼女も承知の上でだろう。
なぜこんな茶番にああまで正面から挑むのかが解らなかった。
嘘でもいい、一言詫びて涙の一つでも流せば幕は閉じ安息の時間が待っているというのに。


「雷太、あの二人はそうなのか。」
ある日ハーマンは雷太を捕まえて不躾に聞いた。
「何の事ですか、司令。」
それがマリンとアフロディアの一種、奇異な関係についてだと解っていたが雷太は曖昧にはぐらかした。
「あの女だ、あの女とマリンの事だ。何か知っているのだろう。」
「さあ・・・俺は何も知りませんね。司令がそう思われるならそうなんじゃないですか。」
明らかに雷太は何か知っているようだったが、その件に関しては何も答えたくないというようにその場を去った。

ハーマンは雷太までが認める二人の関係に注意して見るようになった。
マリンが絶えずアフロディアに気を配り大切に扱っている事は知っていた。
マリンは甘い男だった。
戦時中も時にアフロディアを取り逃がしていた事実も報告は受けてはいた。
彼は生身の人間を己の手で殺せない凡人の弱さを持っていた。
今回も単にその弱さが露出しているにすぎないと思っていた。
寄る辺無き美女に寄せる一過性の同情でしかあり得ないと思っていたのだ。
だが二人を観察するうちにハーマンは自分の認識が大きく外れていたと気づかざる終えなくなった。
それは二人が互いを追う目で解った。
まるで寄り添うがごとく、二人は求め合い、引き合っていた。
ほんの一瞬ではあるがマリンにだけはすがるような目をする事にも気付いた。
それは主に法廷に入る直前に多く見られた。
(もう戦えない・・・・)
そう訴えるアフロディアにマリンは彼女にだけ解るような暗号を送っていたのだった。
一体何を伝えているのか・・・・
決して言葉にはならない、その微妙なメッセージは確実にアフロディアを勇気づけ、最後の力を奮い立たせているかのようだった。
又、アフロディアは心配そうに見つめるマリンに対して、時に射殺すような視線を投げもしていた。
最初は地球人に向ける怒りと抗議のそれと区別が付かなかった。
だがよくよく見比べてみるとマリンに向ける眼差しは凶暴なまでの情熱、激しく燃える闘志の現れなのではないかとも思えるようになっていった。

なぜそこまで二人が惹かれ合うのかはまるで理解出来なかったが二人がとてもよく似た性質を持ち、半身を求めるかのように互いを必要としているのは解るような気がした。
なるほど二人はよく似ていた。
別々に生まれ落ちた双子であるかのように似ていた。

マリンはSー1星で父親と共に何世代にも渡る実りの見えない研究に全てを捧げていたという。
又、アフロディアが戦時下でかいま見せた執念深さ、公判中の異様なまでのしぶとさは、マリンが地球で見せた愚かしいまでの海への執着や忠実さにどこか共通しているような気もしていた。
それはSー1星人特有の粘り強さなのかもしれなかった。
ハーマンはアルデバロンとの交渉の席で、やはり同じ様に地を這うような忍耐強さを見た。
一筋のか細い糸をも捕らえて離さないような生命力が彼らの共通点だ。
それは長く地下都市で生活してきたという彼らに神が与えた力なのかもしれなかった。
同じ言葉を持ち、地球人と何ら変わる事のない彼らだがあきらかに根ざす物が違っていた。
マリンとアフロディア、二人に共通して流れる何かはそれなのかもしれなかった。

こんな時代でなければ幸せに結ばれた二人かもしれない。
いや、この状況だからこそたぐり寄せるように惹かれ合ってしまうのかもしれないとも思った。
どちらにしても、もうどうにもなりはしない事だけは明らかだった。
これ以上マリンの切ない眼差しを、アフロディアの気骨を見るに耐えない気がした。
「あいつらはばかなんですよ、どうしようもないくらいにね。」
雷太は二人の絆に気づいてしまったハーマンに向けてそう言った。
「ばか同士、お似合いだぜ、まったく。」
ハーマンはなぜ月影がこの任務にマリンと雷太を寄越したのかがはっきりと解った。
この上は早く二人を楽にしてやりたかった。
なぜ俺がここまで、そう思いながらもハーマンは一刻も早く判決が下されるように動き始めていた。


ハーマンは二人の関係がここ最近であると思ったようだったが雷太にはそれが美しい誤解である事も解っていた。
戦時下でもマリンはどこかアフロディアを気にかけていた。
「俺が彼女を追い込んでしまった。」
マリンは父親の話がでると決まってそう言った。
彼の中では父親の死と、彼女の弟を殺してしまった事は密接に関わり合い同等の苦しみとして存在しているようだった。
雷太とオリバーは時に戦闘中の二人の会話を聞く事も多かった。
たいていはアフロディアが一方的にマリンを罵るのが常だった。
雷太もオリバーも指揮官でありながら、あまりにむき出しの感情を投げつけるアフロディアに少々戸惑った物だった。
マリンの悩みの原点はそこにあるような気がしていた。
自分こそ罪もない人間を殺しているくせに、弟が死んだくらいでガタガタうるさい女だ。
マリンがなぜこんな単純な事に気がつかないのかが不思議だった。
雷太はアフロディアの恵まれない過去を知ってもマリンのように同情もしなかった。
又、ハーマンのように公判中の態度にも特別思うところはなかった。
とにかく早く死んで欲しかったのだ。

雷太にはマリンの気持ちがまるで理解できなかった。
マリンの言い分も何もかも無茶苦茶だった。
早く裁判を終わらせたいと言いながら、アフロディアが検事の追及に折れる事を決して望まなかった。
昼夜を問わずアフロディアに付き添うと言い張って雷太を困らせた。
アフロディアの側にいる事がマリンの苦悩であり喜びでもあるようだった。

だがある夜、雷太はそれまで知らなかったアフロディアの内面に触れてしまった。
うたた寝をしていた雷太はどこか遠くで聞こえる女の声で目が覚めた。
「いやだ、いやだ、止めて・・もう止めて・・」
震えるような、どこまでも悲しい小さな叫び声はアフロディアの眠る牢をつなぐスピーカーから聞こえて来たのだった。
やがてそれはすすり泣きに変わり、やはり小さな声でマリンを呼んでいた。
その夜の監視は雷太一人だった。
マリンはそこだけは絶対に譲らないとばかりに夜間の監視にいつもこだわっていた。

どうした物かとは思ったが雷太は思い切って話しかけた。
「悪いがマリンはいないぜ。」
はっと息を飲む気配がすぐ側に居るかの様に伝わってきた。
「あいつだって少しは休まなきゃ体が持たないんだ、解ってるだろ。」
マリンは仮眠室に入ると少し休むと言ったまま倒れるように動かなかった。
雷太は仕方なくありのままを伝えたがモニター越しのアフロディアは身じろぎもせず、一体何を考えているのかまるで解らなかった。
このまま黙っている事が最前だとは思ったが、この気まずい沈黙が耐えられなかった。
「あんた・・マリンの事知りたいなら話してやるぜ。」
アフロディアは何も答えはしなかったが雷太はマリンが地球でどのような生活を送ってきたかを少し話した。
だがすぐにばからしくなった。
夜中に一人で何をやっているのかと思ったのだ。
「ちょっとあんた、聞いてんのか。」
どうせ返事はないだろうからそのままこの話は終わりにするつもりだった。
「聞いている・・・・」
意外にもアフロディアは雷太の呼びかけに答えた。
雷太は困ってしまった。
お前も好きなのか、とかわいそうな気がしないではなかった。
こんな女でもやはり心はあるのかと不思議な気もした。
仕方なく雷太は又話し始めた。


後にも先にも雷太がアフロディアの何かを見たのはそれが最初で最後だった。
だがその夜の印象は雷太のアフロディアを見る目を大きく変えた。
アフロディアはそれからも何事もなかったように雷太を無視しその場に存在しないかのように振る舞った。
これがあの女の手だったのかと痛感した。
あの顔で、こんな風にやられたんじゃあマリンがどうにかなるのもしょうがないとも思った。
アフロディアが何かを意識しているわけでは無い事は雷太にも解った。
だが結果的に彼女のそうした態度がマリンの心を捕らえて離さないのだとも思った。
(やはりあの女には早く死んでもらおう。)
雷太はそこに結論を見いだすしかなかった。


ハーマンの配慮もあったのかその後の公判は円滑に進み始めていた。
アフロディアに下された求刑は死刑だった。
一方の弁護側は無期懲役を主張していた。
この上は生きる事で謝罪したいと弁護士は告げていた。
が、同時にどのような判決であろうとも謹んで受け入れるとも言った。
どちらにしてもこの裁判は互いに控訴が認められていないのだから、それも意味のない戯れ言として聞こえた。

マリンには弁護士の主張のどこにも彼女の真意が無いと解っていた。
アフロディアは決して生きたいとは望まないだろうし、地球人の下す、どのような命令にも不服だろう。
彼女は単に自分の命を絶つ役目を他の誰かにさせているにすぎない気がした。

それでもマリンはどこかでその「無期」という言葉に一縷の望みをして託している自分に気づいていた。
生きてどうなるわけではない事は十分解っているつもりだった。
ただアフロディアの死に耐えられそうになかった。

マリンは裁判に向けて地球の法規と過去の判例を調べた。
重大な戦争責任者やテロリストがその時々の政治的な思惑によって極刑を免れてきた事実も知った。
人々のアフロディアに対する関心は依然高かった。
連盟さえその気になればまだ使い道のある彼女を生かす可能性もあるのではないか・・・

マリンはもう遠く過ぎ去ってしまったような戦いの日々を思った。
彼女はマリンの罪を決して許しはしなかった。
ミランを殺めたその手で返す刀を握りしめ、何万人もの同胞を情け容赦もなく殺した。
彼の辿ってきた道には累々と無数の死体が転がっているだけだ。
振り返ればそこは一面の血の海だ。

やらなければやられる、そんな狂気の世界で起こした罪を誰もが責めはしなかった。
良くやったと誉めたたえ、悩む彼にまるでそこに何も無かったかのような態度で接した。
マリンはその姿が信じられなかった。
俺は確かに殺した。この手で。

アフロディアだけは違った。
彼の罪を罪と認め許しはしなかった。
マリンはアフロディアの憎しみを一身に受ける事で、そこに何かしら生きた人間の暖かさを感じていた。
誰もが当たり前のように殺し合い、全ての殺戮を曖昧に了承する中で彼女だけがむき出しの感情そのままでマリンに向かってきた。
アフロディアにだけは嘘がなかった。
マリンはそんな彼女の前でだけは人間に戻れる気がしていた。
当たり前の一人の男でいられた。

地球では敵に後ろを見せない勇者であり続けねばならなかった。
なぜ殺し合わなければいけないのかと、一抹の疑問を抱く事さえも許されはしなかった。
己が生きる為に常に他者の血を流さねばならない運命を呪ったが、誰もがそれは彼が望んだ結果だと気にもとめてはくれなかった。
対個人としての地球人は誰も平和を愛し、心優しき隣人だった。
だが集団としての地球人は常にマリンを戦場に追いやり、立ち止まる事を許してはくれなかった。
何度、この戦いに立ち入ってしまった自分を恨んだだろう。悔やんだだろう。
だがそれでも戦うしかなかった。

戦場でアフロディアに対峙する時はいつやられてもいいと思っていた。
まだ死ぬわけには行かない、そう思う反面、彼女になら殺されてもいいと思った。
アフロディアにはその権利がある気がしていた。
そこに彼女がいるというだけで戦える自分がいた。


マリンはきっと奥歯をかみしめ動かない、今は被告席に座るアフロディアを見た。
あの場に座るのは自分であっても決しておかしくないはずだった。
いつの間にか勝者として彼女を裁く立場にぞっとした。
戦場で、BFS基地で、アフロディアはマリンの隣にいつも寄り添っていた。
だが今の彼女はマリンの手の届かない遠い存在だった。
公判中のアフロディアはそれまでの彼女とどこか違っていた。
もうマリンを必要とはしていない様にも思えた。
時折しがみつくような視線にぶつかったがそれもほんの一瞬に過ぎなかった。
結局アフロディアは一人で戦い、一人で死のうとしているのかもしれなかった。
マリンは彼女をこんな茶番に送り込んでしまった自分を恥じた。
力になれると信じた愚かさを笑った。
この場において、マリンは何も出来はしなかった。
ただ側にいただけだった。
連盟に来てからはずっとそうだった。
全ては二人の間に確実に存在する無数の壁に阻まれたまま、やがてマリンは疲れ切り共に戦う事を放棄してしまった。 

海の為にと戦って己に敗れた。
アフロディアの為にと地球にとどまった事も無意味に思えてならなかった。
彼女に何か出来ると思う事がすでに愚かだったのだ。
マリンが彼女を必要としていたのだった。

懐かしく過ぎ去ったBFS基地での穏やかな時間。あの時に帰りたかった。
あの頃はまだアフロディアの死は遠い歳月の彼方に見え隠れするあるか無いかの出来事にすぎなかった。
だが今はすぐ手の届く先の現実としてマリンの目の前に存在した。
アフロディア亡き後の異世界に一人で生きる自信が無かった。
彼女がそれを望まないことは百も承知だったが、まだ少しでも自分を必要としてくれるならば俺のために生きて欲しいとマリンは祈った。


その日、聴衆の見守る中アフロディアへの判決は下された。
有罪、銃殺。
判事はそう一息に告げると判決に至るまでの理由を蕩々と述べたが、アフロディアはもうその声を聞いてはいなかった。
やっと終わった、その安堵の想いだけが胸一杯に広がっていった。

アフロディアは雷太とマリンに挟まれながらもう通る事もないだろう見慣れた通路を歩いていた。
横目で見たマリンは青ざめ憔悴しきっているようにも見えた。
そして時折恨めしげに見つめていた。
アフロディアはマリンと視線を合わせたかったが恐くて止めた。

肩を落とし項垂れて歩くマリンの姿は、誰の目にもどちらが死を言い渡されたのか解らないほど疲れ切って見えた。
すぐ目の前で最後の扉が閉じてしまった事に怯えているかのようだった。
数台の護送車に囲まれて連盟本部に帰る道すがらもマリンは拳を握りしめ、見えない何かと戦っているようにも見えた。
牢に戻ったアフロディアは扉越しにマリンと他の隊員が何かを言い争うような声をじっと聞いていた。
「放っておいてくれ。」
「一人にしてくれ。」
吐き捨てるような声が胸に痛かった。

ここまで彼を追い込んでしまった事が悔やまれた。
マリンは一途に強く激しい反面、非常なもろさを持った男だった。
そのどちらの気持ちにも正直なあまり、時として苦しみもがいていた。
かつては危うい均衡の上に一応は成り立って物が、引き寄せられるように落ちていくのを見るのは辛かった。
それでもアフロディアはマリンを愛し、求める気持ちを抑えようとはしなかった。

マリンだけが全てであるような気がした。
全ての正しい物、美しい物の象徴に思えた。
地球でかいま見た実生活を生きるマリンも戦場の姿そのままに美しかった。
迷いながら生きる姿が彼の持つ誠実さと真実みの現れであるような気がした。
もう解放しなければいけないといつも思った。
頼る事が彼を苦しめているのだと知りながらすがってしまった。
誰かに頼るという事がこんなにも甘く緩やなのだと初めて知りもした。
後もう少し、もう少しだからと自分に言い聞かせながら目で追った。
ただマリンが側にいてくれるだけで、こんなにもなりたかった自分に近づけたのが不思議だった。
こんなに長く苦しい日々は無かった。
と同時に生涯でこれほど美しく流れた時間も無かったようにも思えた。
向こうで待つミランにだけは申し訳ない気がしたがこの想いだけは消したくなかった。
マリンを愛した事だけが生涯で誇れる全てだった。


数日後、ハーマンはアフロディアを呼びこう告げた。
「銃殺で公開刑だ。期日は十日後。大丈夫だな。」
アフロディアは「はい。」と力無く答えた。
見下ろすアフロディアは、数ヶ月前に小型機からはらりと降り立ったあの日よりも遙かに小さく、頼りなくハーマンの目に映った。
すっかり艶を失った髪が幾筋も頬にかかる姿が窶れた顔にいっそうの影を落としていた。
(これがこの女の素顔なのかもしれない。)
今のアフロディアには公判中に見られたような情熱や闘志はかけらもなく、何もかも素通しさせてしまう程の無気力さが漂っているだけだった。
この生ける屍のような彼女を最後の舞台に引きずりあげねばならない職務を呪いたくもなったが、この仕事だけは他の誰でもなく自らの手で下すのが責でもあると思った。
「何か望みがあるなら遠慮なく言いなさい。」
この上何もありはしないと思えたが、打って変わったハーマンの穏やかな物言いにアフロディアは少し首を傾げ考えた。
ぼんやりと浮かぶのは十日という時間とマリンの苦しげにゆがんだ顔だった。
彼を一刻も早く解放してあげたかった。

「それでは執行を早めてもらいたい。この上、長らえても仕方がない。」
思いがけないアフロディアの要求にハーマンは驚いた。
声はかわらず小さかったが、その口調はかつてあったような強い意志を伴っていた。
だが最後の最後に望むのがそんな物であるのは間違いであるような気がしてならなかった。
「解った。善処しよう。」
彼個人の一存ではどうにも変えようのない問題だとは思ったが、この上は職を辞する覚悟で当たろう。
たとえどのような困難でも彼女の望む事は叶えてやるのが筋であろう。
「他にはないのか、かまわないぞ。」
アフロディアも意外な想いでハーマンを見上げた。
その口調からも、いかに難しい要求を突き付けてしまったかが解るだけにこの上何かを望む気にはなれないと思った。
が、同時にその胸の内も解るような気がしてきた。
マリンは彼を信用できる数少ない人間であり、尊敬出来る人物であると話してくれた事があった。
それはこういう事であったのか。
「私の軍服を返して欲しい。」
ハーマンは又しても驚愕した。
アフロディアは願う、と言うよりは正当な権利を主張するように強く、激しく全身で抗議していた。
この女は根っからの軍人なのだと、改めて自分の浅はかさを笑ったが、同時にそれだけで良いはずが無いという想いも又強く残った。
「解った。確かにそんななりでは死に切れまい・・・」
ハーマンは同じ軍人としてそんな簡単な事に気づかなかった自分を恥じた。

どう想いはかったところでその立場にない者には何も真実は見えはしないのかもしれなかった。
思慮深い彼女に対してこんな事を考えるのは、とんでもない見当違いかもしれないと躊躇する気持ちは確かにあった。
だがこちらから切り出さねばどうにも仕方がないという想いの方が強かった。
これを確かめねば彼の方がやりきれなかった。
「アフロディア元司令。」
この気持ちが届けとばかりにハーマンは強く見つめた。
「もう死ぬんだ、もっと他にあるだろう、もっと他に。」

その言葉が呼び水となってアフロディアの中の何かが目覚めた。
花開くように秘めた想いが全身を彩っていくのがはっきりと解った。
この顔を一生忘れないだろう、
ためらいがちに動く唇を、果実を思わせるような頬を、恋うような眼差しを。
彼女の存在が恋そのものであるようにも思えてならなかった。


「三日後!そんなばかな、そんな事があるもんか!」
提出用のレポートを仕上げていたマリンは雷太に詰め寄った。
「間違いない。さっき聞いてきた。」
「うそだ、早すぎる。」
マリンの悲鳴にも似た声を聞きながら雷太も又辛い気持ちであった。
「本人のたっての希望らしいぞ・・・」

ハーマンは辞表を片手にアフロディア処刑の繰り上げを迫り、結果それは認められた。
警備上の問題と本人の精神状態を考慮しても早期にカタを付けなければ責任をおいかねると詰めより陳情したのだった。
雷太にはそれが彼一流の思いやりであると解ったがマリンはどうにも納得できないようだった。
たとえ三日が三十日であってもマリンには無謀に早すぎると感じたであろう。
処刑の判決が降りようとも期日の定まらぬまま、やがて恩赦を迎えるかもしれないというはかない望みに全てを賭けていたのだった。
「俺、ちょっと行ってくるから。」
雷太はマリンがどこに行こうとしているのかが解っただけに腕を掴み止めた。
「今さら何を言ってもしょうがないだろ、お前、解ってるのか!」
「ほっといてくれ、お前になんか俺の気持ちが解ってたまるか。」
雷太にはマリンの気持ちは解りそうもなかったが、アフロディアの気持ちだけはなぜか解るような気がしてならなかった。
「誰が一番苦しいのか考えてみるんだな。」
そう言いながら雷太もそれが誰であるのかは解らなかった。
「あの人を支えてやるのが仕事だろ。」
そう言って部屋を後にした。


海を見せてやりたかった。
青い海、青い空、海面すれすれを滑空する海鳥たち。
光あふれる砂浜に連れていきたかった。
きっと彼女は笑顔を見せてくれるだろう。
熱く焼けた砂を蹴って波間を走りぬけ、冷たい水を手に受け笑ってくれるかもしれない。 

マリンは眼下に広がる町並みを見た。
幸いにも爆撃を免れた連盟本部ビルは地球でも屈指の摩天楼の街にあった。
人々のおりなすざわめきと騒音は最上階付近のこの部屋にも十分届いていた。
そしてアフロディアの眠る地下階にも時折壁を伝う振動となって響いていたのだった。
(こんな所で生きてもかわいそうなだけじゃないか・・・)

もう終わりなんだ。
はらりと落ちた滴を見ながらマリンは思った。
もう終わりにしなければいけない。
マリンは結審後のこの数日間、アフロディアをさけていた。
彼女を思う気持ちとは裏腹に理由を付けて雷太にその任をまかせ気味にしていたのだった。

会うのが恐かった。何を話す事も無い気がしていた。
アフロディアに必要とされる自信もなかった。
三日間。
目の前に迫った確かな時間がマリンに最後の力を与えたのかもしれなかった。
何もできなくていいんだ。そのままの自分を恐れるのはもう止めよう。
俺達は地上で二人ぼっちじゃないか、その片割れが死のうとするのに何を恐れなければならないというのだろう。


執行のその日までマリンは再びアフロディアの側にいた。
彼女は昼の間は何をするでなくうつらうつらと眠り、夜になると壁越しのマリンと話をした。
雷太は二人から少し離れた位置に座り眠っているのが常だった。

「初めて磯の香りをかいだ時はちょっと変な匂いだと思ったよ。」
壁越しのアフロディアがふふっと笑う気配がした。
「すぐに慣れて、何て言うのかな、懐かしい匂いだって思うようになったけど。」
アフロディアは自分からは余り話さなかったが、この限られた時間をとても大切にしている事はマリンにも解った。
互いに伝えたい事など無かったのかもしれない。
それでも朝が来ても話し足りない程に来る夜を共に過ごした。
「お前も少しは話せよ。」
時にマリンがそう水を向けるとアフロディアも少しだけ自分を語った。
幼少の頃の思い出や、初めて軍服を身につけた日の少しだけ誇らしかった戸惑う気持ち。
決して結びつきようのない二人がこんな異国で共に過ごすとは思いもかけなかっただろう若い日々があった。
すれ違う事すらあり得なかった故郷での懐かしい時間は、それが今しか語りようもないのだという想いと共にマリンの胸に熱く響いた。
「懐かしいな。」
思わずそう言ってしまったマリンにアフロディアも続けて言った。
「そうだな。」 

このまま朝が来なければいいと絶えず思った。
最後を迎えるに当たってアフロディアはそれまでの牢を出され、大きな窓を持つ開けた一室を与えられていた。
月が白く霞みながら暁の空に消え、太陽が顔を出すいつもの時間、二人は今日一日の終わりを知りどちらからともなく口数が減っていくのだった。
二人の想いも言葉も、輝くような朝の光の中では無意味に思えてならなかった。
やがて朝食が運ばれ手つかずの膳が下げられる頃にアフロディアはいつもベットに横たわってしまうのだった。
だがその朝は少し違った。
今日がその日だった。

アフロディアは寝具を整えると膝をそろえて座りまっすぐに正面を見た。
雷太は二人分の椅子を片づけると扉の前に起立した。
マリンは為すすべもなく足下を見てばかりいた。
やがて数人の足音が聞こえ敬礼と共に儀式は始まった。
「ご苦労。」
ハーマンは二人にそう告げると彼だけが知っているナンバーを指しキーを開けた。
マリンは「はい。」「はい。」と小さく響くアフロディアの声を聞きながら目を閉じた。

今日これからのスケジュールは何も知らされていなかった。
知っているのは正午過ぎには彼女が死ぬ事だけだ。
やがてアフロディアは数人の女性隊員と共にどこかに消えてしまった。
「マリン、雷太、君達はこっちだ。」 
エレベーターの前でハーマンは雷太に何か指示を与えると、雷太はうなずき同じようにどこかへ消えてしまった。
マリンはハーマンと並んで歩いたが着いたのは彼の執務室だった。

まだ正午までは十分に時間があった。
アフロディアがどこにいるのかが気になったが今すぐという事もあり得なかった。
このまま別れてしまうのはあまりだとも思ったが最後を見届ける自信も又無かった。
「あと一時間は禊ぎに使う。」
聞き慣れない言葉に躊躇するマリンにハーマンは続けた。
「風呂だ。もう最後だからな。」
ハーマンはあくまでも事務的だった、
「十一時にはここを出発して執行は予定道り正午に行う。」
マリンは無言だった。
「解ったな。」
念押しのような強い口調にマリンは敬礼しその場を去ろうとした。
だがどこに行けばいいのかも解らなかった。
「次の指示があるまで君はここにいたまえ。」
そう言うとハーマンはくるりと背を向け窓を見た。

まだ八時だった。
こうしている間にも時は過ぎてゆくと思うといたたまれなかった。
ハーマンが何を考えているのかも解らなかった。
ただのろのろと過ぎゆく時間と共にあるしかないようにも思えた。
その間ハーマンは二本の電話を取り何かしら指示を出していたが、どちらも遠い出来事に思えてならなかった。
「行くぞ。」
ハーマンは時計を見ながらそう促した。


再びたどり着いたのはアフロディアが最後に過ごした一室があるフロアーだった。
何重にも閉ざされた扉を一つづつ開け、長い廊下に突き当たった時だった。
「一時間だけやる。」
そのままマリンに背を向けながらこう続けた。
「悔いの残らないようにしろ。」
マリンは足を止めた。
ハーマンはかまわず先を歩くと、背後に再びマリンの気配を感じるとおもむろに振り返り言った。
「ただしおかしな事は考えるな。
もしばかなまねをしたらあの女の死体を辱めてやるから そう思え、いいな。」

大きな窓の下の小さなベットの上、まぶしいほどの光を背に見慣れた軍服姿の彼女が居た。
「一時間たったら又来る。」
背後で閉まる金属音と共に声は消えていった。


見慣れた室内の両壁に、むき出しの配線そのままに監視カメラが外された跡があった。
アフロディアは立ち上がり時計を見た。
「時間がないから・・・・」
もう四分経っていた。



海に降る雪 光の中へ


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