今までの二人、これからの二人



その朝のアフロディアは看守の呼びかけに答えもせず、ぼんやりとベットに身を横たえたまま一日を過ごした。
体にはマリンの感触がはっきりと残っていた。
息苦しい程の抱擁はその一瞬だけ彼女を幸せにした。
だが残ったのは後悔だけだった。
あの口づけで葬り去ろうとした全てが目の前に甦ってしまった。
あのまま抱かれたら、全てを投げ出したらどうだったのだろうかと、ありもしない事ばかりを思って長い時間を過ごした。
あの時・・・
マリンの無謀なまでの若さと情熱、そして痛みを一身に受けた。
あのまま、抱きしめられた腕の中で息絶えたいと願った。
その場で死ねれば全てを忘れて共にあの渦に巻き込まれてもいいと思った。

全ては一瞬の幻だった。
その日一日、マリンは訪ねて来なかった。
おそらくは、自分と同じ様に後悔しているであろう彼。
それを思うと切なかった。
もう二度と会わなくてもいいような気がした。
このまま、あの夜の思い出だけを胸に秘めて死んでいければ幸せだろう。
もし再び会えば 溢れ出る想いに押し流されて愚かなまねをしそうで怖ろしかった。
新しく芽生えた愛が眠りについた生への執着を揺り動かしそうで恐かった。


マリンも又、昨夜の出来事を悔やんでいた。
己の欲望のままに彼女を扱った事を恥じていた。
アフロディアは彼を受け止め、答えた。だがそれがどうしたというのだろう。
限られた時間しか残されていない彼女を苦しめ、望むべくもない事を望んでしまった。
独りよがりの愚かさで彼女を辱めてしまった事が悔やまれた。

今、マリンははっきりとアフロディアへの愛を自覚していた。
愛と呼ぶにはあまりに遠かったが、これまでもずっと彼女を追い求めていた様な気がした。
だがそれは伝えてはならない物だった。
マリンが先にルールを破った。
戦い疲れた彼女を安らかに死なせる事すら拒み、新たな迷宮に誘い込んでしまった。
もう会わない方がいい・・・
もう会えないとも思った。
けれどあんな所にあの人を一人残して行けはしないだろう。
もしここで彼女を残して旅立ってしまえば、さらに生涯の悔いを残すような気がして恐かった。
もう二度と再び道を誤りたくはなかった。
あの夜の、そして今までの償いが出来るならばもう他の事はどうでも良かった。

その夜マリンは月影の研究室を訪ねた。
のびのびになっていた今後の身の振り方について相談する為だった。
「それで本当にいいんだな。」
月影はどこかしら父を思わせた。
この戦いの間中、親身になって異端者マリンを支えてくれた一人だ。
地球はマリンにとって第二の故郷だった。誰の為にも最前であるように思われた。

翌朝にはマリンが地球に残るというニュースはBFS中を駆けめぐっていた。
マリンを直接は知らない隊員でさえも彼の自発的な選択を喜び司令室に足を運んだ。
雷太とオリバーは任務の為、その場に駆けつける事は出来なかったが何度も通信を入れてはマリンと話したがった。
マリンにとっても二人はこの一年、生死を共に戦った仲だ。
厚い猜疑心を越えて友情をはぐくみ共に支え合った。
同じ痛みと悲しみを分け合い同じ場所にいた。
そしてこれからもだ。かけがえのない仲間だった。

連盟はこの喜ばしい選択に満足しBFS司令部の仕事ぶりを誉めた。
だが月影はじめ、クインシュタインはそんなつもりは無かったとあくまでも冷静に対応していた。
二人は最初からマリンの迷いを理解していたつもりだった。
マリンが地球に流れ着いたあの日から、おそらくは彼自信でさえも気づかない細かな心の動きを絶えず読みとってきた。
マリンが何の為にこの選択をしたか薄々気づいていたがそれでもいいと思った。
それがなんであれ、この孤独な青年が何かを見つけたのならばそれもいいと思いたかった。 
ジェミーはおそらく一番にこのニュースを喜び、その気持ちを隠す事もなくマリンに伝えた。
歓喜を全身で表現し一日そばを離れようとはしなかった。
だが新しくマリンに与えられた任務を知った時、ジェミーは愕然とした。
「俺、もう行くから・・・」
そう言い残して去っていくマリンの背中をぼんやりと見送るしか出来なかった。
ジェミーはマリンの真意を具体的に知った最初の地球人となった。
マリンが向かったのはアフロディアの独房だった。


「今日からあなたに関しての一切を担当する事になりました。
何か不自由な点があるようでしたら対応していきたいと思いますので遠慮なく言って下さい。」
その日突然マリンは現れこう言った。
それから牢内を細かくチェックすると同行した隊員に何かしら指示を出した。 
「以後、よろしくお願いします。」
マリンはただ事務的にそう告げただけだった。
だが彼の持つ穏やかな、そして強い眼差しはかつて戦場で対峙した幾つもの日々を思わせた。
その日からアフロディアの全ては変わった。


マリンは月影に頼み込んでアフロディアの監視と護衛を任されたのだった。
今後、基地内での管理はマリンに一任され、彼の指示で動く事となった。
BFSの一員として決しておかしなまねはしない、と真摯に頭を下げるマリンに月影が折れる形でこの辞令は下された。
マリンはアフロディアが少しでも安らげるようにと細心の注意を払って任務を遂行した。
監視員の人選から、食事の内容にまで細かく指示を出す一方で、隊員達にはジョークを交えながら明るく接した。
アフロディアを取り巻く環境には、常に目の行き届いたマリンの配慮が共にあった。
言葉にこそしなかったが彼女が一番喜んだのは一日一回、三十分だけではあるが基地内の中庭で自由時間が与えられた事だった。
そして傍らには常にマリンがいた。
半年以上に渡る監禁生活で、その体は弱り少し長く歩くとよろける事も多かった。
だが時にマリンに肩を支えられながら、アフロディアはかすかな笑顔も見せるようになっていた。

何の為に、誰の為にマリンは地球に残ると決めたのか・・・・
静かに傍らに寄り添うマリンの横顔を見ながらアフロディアは痛感した。
ずいぶんと罪な事をさせてしまったのかもしれない・・・
それがあの夜に起因していると思うと切なかった。
マリンほど一途に何かを成し遂げようとする人を他に知らない。
こんな自分の為ではなく、長く困難な旅に出るSー1星人の為にその能力を生かして欲しい・・・
アフロディアは心からそう思った。
けれどマリンはこんな男なのかもしれなかった。
どこまでも真摯で愚かだった。

そんなマリンの態度は彼が地球人から孤立していく事をも意味していた。
ある程度は上手に立ち回っているようだが時折隊員達が向ける醒めた眼差しが気になった。
自分が死んだ後、一体地球でどう生きるのだろうか・・・
その事を思うと胸が痛んだ。

どこまでも一直線上に並ぶ二本のレール。
時折近づくかに見えても決して交わる事のない二人。
未来には何も無かった。
だがそれでもいいのかもしれない。
あんなに憎しみあった二人が今同じ場所に立ち同じ未来を見つめている。
その事にこそ意味があるような気がしていた。


目の前には箱庭のように四角く切り取られた遠い空があった。
その中をゆっくりと流れていく白い雲。
アフロディアは残り少ない命を惜しむように降り注ぐ陽に身を委ねた。
その体は蝋細工のように白く透けながら光の中に溶けてしまいそうで恐かった。
彼女がここまで健康を害していた事に今まで誰も気がつかなった。
なぜもっと早くこう出来なかったのか。
マリンは自分を責めた。

何もかも全て間違っていた。愚かだった。
アフロディアを困らせてばかりいたと思う。
共に生きる事も死ぬ事もかなわないなら望み通り、誇りある死に力を貸したかった。
その為なら全てを投げ打っても惜しくないと思った。
今は彼女の残された時間が少しでも実り多い物であれと祈るだけだった。
その後の事は何も考えていなかった。


そんなマリンの態度はBFSの一般隊員はもとより、時折基地に立ち寄る雷太やオリバーの目にも奇異に映った。
マリンが地球に残ったのは地球の為でも地球人の為でも、彼自身の為でさえもなかった。
一体あれは何事かと誰もが囁きあった。面と向かってどうしたのかと聞く者もいた。
だがマリンはそんな声をいつも笑って聞き流した。
その態度は終始一貫して誰に理解される事も拒むようにすら見えた。

雷太もオリバーもマリンという人間を知っているつもりだった。
この一年、目の前の戦いにせかされながらもマリンが時折見せる孤独な影に気づいてはいた。
マリンはいつも一人だった。
溶け合うようにも見えながら、マリンと彼らの間には絶えず何かが立ちふさがっていた。
彼らが近づけばマリンはいつも身を引いた。
又、マリンが近づけば、そうと意識せずとも誰もが距離をおいた。
やがて人々は弱々しい一本の線にも似たマリンと共にそびえる神聖な何かを認めた。
決して立ち入れない彼の内なる物にあのアフロディアだけは寄り添い、側にいる事が可能だというのだろうか。
だが理解は出来ぬまでもそれがマリンの一番の望みならば黙って見守る事が最前であるように思われた。
事実、アフロディアの側に立つマリンは幸福そうでもあった。

ただジェミーはそんな二人を見るのが辛かった。
マリンが地球に来て最初に心を開いたのは自分であったはずだ。
俺を信じてくれるかと、あの瞳で聞かれた時からマリンに恋をした。
共に戦い、笑い、泣きもした。つまらない諍いもあったと思う。
こんなに側にいながらジェミーはついにマリンという男を理解出来なかった。
そしてあんなに遠くにいながらもアフロディアはマリンをとらえて離しはしなかったのだ。
何を話すわけでもなくただ側にいるだけで解り合えるような二人・・・
絡みつくように互いを求め合う触手をも見える様な気がして辛かった。
その姿を遠目で見ながらジェミーは想いを少しずつ断ち切っていった。
それは辛い作業であったがそうでもしなければ救われなかった。
あのマリンを見ながら、それでも彼を恋う事は出来なかった。


マリンは絶えずアフロディアの身を案じたがそれでも気づかない心の闇があった。
マリンはこの事を看守の一人から相談されて初めて知った。
アフロディアは毎夜のように何かに怯えているのだった。

そうと知ってからはマリンは努めて夜間の監視も担当し始めた。
二人はアフロディアが眠りにつくまでスピーカー越しにとりとめのない話をするようになっていた。
いつも先に口を切るのはマリンだった。
「最初、君にあった時、凄く美人だと思ったよ。」
マリンは努めて明るい話題を選んだ。
戦いに明け暮れた日々だったがそれでも取るに足らないような、小さな二人だけの世界があった。
「こんな綺麗な人が世の中にいるんだって思った。」
「ばかを言うな・・・」
アフロディアはマリンが何を思ってそんな事を口にするのか解っていた。
「俺の事なんか子供だと思っただろ。」
その時を思い出してアフロディアは少し笑った。
確かにそう思った物だった。
「ずいぶん生意気なこが来ているって思った・・・」
「ひどいな・・・」
マリンも苦笑した。
「もう休むから・・・・」

本当はそうやっていつまでもマリンと話していたかった。
だが彼の体を思っていつも先に会話をうち切った。
マリンには休息が必要だった。
扉の向こうにマリンがいると思うと安心して眠りにつけるような気がした。
だが決まって恐ろしい夢を見て飛び起きた。
マリンは最初、彼女が何にそんなに怯えているが掴めなかった。
かつてマリンもこんな牢で眠れぬ夜を幾夜も過ごした事があった。
失われた物全てに、これから起こる全てが不安で眠る事が出来なかった。
だがアフロディアが怯えたのはすぐ先にある死ではなかった。
亡霊のように現れる血みどろのガットラーと、舌なめずりしながら襲いかかってくるあの日の男達。
闇を切るようなか細い悲鳴は時にすすり泣きに変わり、スピーカー越しにマリンの耳にも届いていた。
「アフロディア、話してみるか・・・・」
その呼びかけに答えるかのように声は高くなっていった。
マリンにだけは知られたくなかった。
話せば楽になるような気もしたがその言葉だけで十分だった。

アフロディアはマリンが夜間の看守を担当するまでは決して泣いたりしなかった。
目の前にあの日の悪夢が甦っても必死で目を見開きこらえていた。
地球人に涙は見せたくなかった。
「アフロディア・・・」
彼女の名を呼ぶマリンの声は全てを理解し包み込むように暖かく響いていた。
マリンの前でなら泣いても良いと思った。
生涯でただ一人、愛した男の前でなら泣く事も許されてもいいと思った。
「好きなだけ泣けよ・・・」
壁越しに遠いアフロディアを抱きしめるようにマリンは囁いた。
「俺が付いてるじゃないか・・・・」


穏やかに、確実に日々は流れていった。
マリンはアフロディアの側を離れようとはしなかった。
孤立していくかに見えたマリンを密かに支えたのは意外にも雷太だった。
雷太にはもちろん二人の間を複雑に交差する感情の揺らぎなど解ろうはずもなかった。
ただマリンの強い信念のような物は解るような気がしていた。
マリンが今している事は、彼が次の世界に渡る為のステップのように思えてならなかったからだ。
気の済むようにやらせたらあいつはきっとこっちに帰ってくる・・・・
そうと自覚したわけでは無かったが、雷太は不思議とマリンを批判する声に同調する気にはなれなかった。


その日、雷太はマリンと一緒にアフロディアに付き添っていた。
午後にはアルデバロンの太陽系撤退が予定されていた。
基地内の各モニターにはアルゴルが大船団を率いて集結する様子が映し出されていた。
約一時間後には順を追って亜空間に突入しワープするという。
この光景をマリンも見るべきだ、雷太はそう思った。
見れば一つの区切りがつくのではないかと思ったからだった。
だがマリンは「交代しよう。」という雷太の申し出を断り、当然のようにアフロディアを連れて中庭に向かった。
雷太はマリンと一緒にいた隊員に頼まれる形で、そのまま二人と共に中庭に向かった。

それは不思議な光景だった。
二人は少し離れた位置に立ち、じっと同じ空を見つめていた。
何があるわけでもない。
いや、二人には何かが見えているのかもしれなかった・・・
それは司令室で見た光景とあまりにも対照的だった。
人々はみな、待ちに待った目の前の出来事に興奮し歓声を上げていた。
抱き合い、涙を流しながらついに現実の物となった平和をかみしめていた。
だが二人は違った。
まるで、そんな外界の騒ぎには無縁であるかのように静かにたたずんでいた。

(あんな女、早く死んでしまえばいい・・・)
雷太はマリンに早く帰ってきて欲しかった。
これはその為の通過儀礼だ、そう思ってやり過ごそうすかない・・・

アフロディアの連盟本部護送を控えたある日、雷太は月影に呼ばれた。
マリンと共にBFS代表として連盟に出向して欲しいとの事だった。
「そりゃ又、大変な仕事じゃないですか・・・」
裁判といってもアフロディアの場合は意味合いが違ってくるのは必然だった。
戦いは終わったが人々の悲しみは癒されていない。
地球はこの戦いで実に三億にも及ぶ犠牲者を出したのだ。
あのアフロディアが許しを請うとも思えず彼女の発言如何によっては、一度は収まりかけた人々の憎しみと怒りが大きなうねりとなって連盟に押し寄せる事は予測できた。 
「だから君に頼みたい。やってくれるな。」
雷太はなぜ自分がこの任務に選ばれたのか解っていた。
「長官、マリンですね・・・」
「そうだ・・・」
月影は重い気持ちで答えた。
連盟には今だにマリンを快く思わない者も多かった。
彼の今までの働きと個人的な感情は別だった。
連盟はマリンが自分達の意のままに動く忠実な兵器である事のみを期待しているのだった。
「マリンは大事な仲間だ。彼の力になって欲しい。」
「解ってますよ。俺に出来ることなら何でもやります。任せて下さい。」

アフロディアの裁判は一般市民にも傍聴が認められる予定だった。
世界放送によるテレビ中継も予定されていた。
裁判の度に連盟本部から護送するだけでも骨がおれる仕事だ。
「俺に任せて下さい。」


それから数日後、マリン、雷太、アフロディア三人は連盟の派遣した小型機でBFS基地を離れた。
アフロディアは施錠され、マリンと雷太に挟まれる形でシートに座らされた。
その時、腰を落としたアフロディアはほんのわずか、マリンよりに座り直した。
あらためて間近で見た美しさと相まって雷太にはそれが面白くなかった。
アフロディア護送は秘密裏に行われたがそれでも報道陣への警戒を兼ねて正規を大きく迂回するルートを取り、飛行は長時間に渡った。

横目で見たアフロディアは美しかった。
理知的でもあり、冷たさの中に何かうちに秘めた激しさがかいま見れるような、そんな風貌だった。
(マリンはこの顔にやられたのかな・・・)
マリンはまっすぐ前方を見つめていた。
彼の右手はアフロディアの手錠を隠すように覆われた上着の下で動かなかった。
(どこまでもばかな奴だ・・・・)
雷太は大きくため息を付くと目を閉じた。これからの為にも体を休めておきたかった。
アフロディアも疲れたのかマリンにもたれるように少し眠った。
マリンだけがただ一点を見つめるように動かなかった。
 
海に降る雪 今までの二人、これからの二人

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