旅の終わりに



アフロディアの考えは正しかった。
マリン、雷太、オリバー達バルディオスチームは一時的に世界連盟に身柄を預けられハーマンの指揮の元、停戦交渉の準備及び警護にあたっていた。
記念すべき第一回の直接交渉は南極で行われた。
半年前に行われた血の停戦交渉。
同じ鉄は踏ませないと言う連盟の強い意志のもと、会議は開かれようとしていた。
交渉前日の夜マリンはハーマンに呼ばれた。
「君の立場は複雑だと思うが地球の為に力を貸して欲しい。」
マリンだけは連盟代表の一人として交渉の席に着く予定だった。
罠だと解っていながら止められなかった半年前の平和会議・・・
マリンは最前を尽くす事を約束した。

その日はよく晴れていた。
マリンの不安もあふれる光の中にかき消されんばかりに燦々と晴れ渡っていた。
(あの日もこうだった。)
半年前のあの日も良く晴れていた。
その時マリンの胸に今日も一人、窓から海を見ているだろうアフロディアの姿がかすめた。
あの人の事は忘れよう。
今、出来る事を力の限りする事が望みでもあろう、そう決心しすでにアルデバロン幹部の着席する会場へと進んでいった。

会議は双方、最低限の人員のみ選ばれて参加していた。
連盟からはモーガン、ハーマン以下、幹部十数名とマリン。
アルデバロンからは軍服姿の将校や、民間人らしき人物など十名程だった。
マリンはそのメンバーを一別しながら驚きを隠せなかった。
かつて父の研究をサポートしたタワーがいたからだ。
彼の肩書きはS-1星統一評議会議長となっていた。

会議はモーガン進行のもと淡々と行われた。
そして会議の席上ではアフロディアも知らなかったクーデターの詳細が語られた。

今回のクーデターは完全に民間人主体で行われたのだという。
ガットラーは戦局が硬直するに連れ独裁色を強めていった。
戦力強化の為、冷凍冬眠していた兵士は民間人と入れ替えられ要塞内はファシズム化されていった。
しかし、ガットラーの読みは最後で甘かった。
冬眠から目覚めた兵士達は自分達があてのない戦いの為に補充された消耗品にすぎないと気づいたのだ。
又冬眠を命じられた移民局幹部もガットラーに不審を抱き、密かに命令に逆らっていた。
そして元来予定されていた移住先の惑星の位置を突き止めながら、その件について口止めされていた科学局所属のタワーの元に反ガットラー分子は集結し軍部の一部を掌握、今回のクーデターに至ったのだという。
(これではアフロディアは本当に知らなかったのかもしれない・・・)
マリンは考えまいとしていた事を思わずにはいられなかった。
弟を殺され、その空白を埋めるかのように必死で戦ってきたアフロディア。
だが彼女もこの現実の前には為すすべもなく最後にはあんな形で利用されてしまったというのだろうか。

審議は粛々と進み今後の日程が組まれていった。
より具体的な交渉を進める為に南極での会議をあと三回、そして亜空間要塞アルゴルへの連盟幹部による視察も予定された。
その後、アルデバロンは正式に撤退するという。

約八時間にも及んだこの会議はモーガンと新制アルデバロン議長タワーの握手で幕を閉じた。
やがて訪れるかもしれない平和に人々は胸を高鳴らせた。
会議で実際に目にしたアルデバロン議会はそれまで地球人が抱いていた不信感を幾らかではあるが払拭させた。
彼らもこの戦争の終結を心から望んでいるように見えたからだった。

だがマリンは浮かない気持ちで議場をあとにした。
ハーマンはそんなマリンを察してか連盟本部に戻ると二人だけで話をしようと自室に招いた。


「何か意見があるようだな。」
ハーマンは単刀直入に切り出してきた。
「戦争と恋愛は同じだ。始めるのは簡単だがいざ止めようと思うと・・・」
そう言って自嘲気味に笑った。
「Sー1星人としての君の忌憚無い意見が聞きたい。今日の会議をどう思った。」
マリンはじっとハーマンを見つめ言葉を選んだ。
「いえ、今日の会議は上出来だったと思います。あれ以上は望むべくもないでしょう。」
「では何がそんなに気になるのだ。私達には言えないような事か。」
マリンは一瞬言うべきかどうか悩んだ。だがいつまでも隠しておける事でもないだろう。
ハーマンの率直な意見も聞きたかった。
マリンは会議中二度ほどもうけられた休憩時間での事を話し始めた。

それは最初の休憩時だった。
マリンは思い切ってタワーに話しかけてみた。
もし彼の知るタワーであれば一緒に放射能除去の研究に参加した事もある人物だ。
あのクーデターの日、彼は研究室にはいなかった。
混乱の中、炎に包まれ死んだものと思っていた。
だがここにいる以上何らかの形で生き延びたか、あるいはガットラーと密かに通じマリンと父を売ったのかもしれない。
「それでどうだったんだ。」
ハーマンは促した。
ガットラーは研究所襲撃の前に密かに何人かの科学者を抱き込んでいたのだという。
レイガン研究所にはSー1星の誇る優秀な頭脳が集まっていた。
新天地に旅立つにあたって必要な人材を押さえておきたかったのだろう。

その時マリンは突き上げるような怒りを抑える事が出来なかった。
銃があれば彼を撃ち殺していたかもしれない。
もし、誰かが一言告げてくれたら決してあのような事態は起きなかったのだろう。
父は死なず、ミランを殺す事も無かっただろう。この無駄な争いも起きはしなかったはずだ。
「それは君が面白くないのも当然だな。
どうしてもと言うなら次の会議からは警護の方を見てもらってもいいぞ。」
「いえ、そうじゃないんです・・・・」
マリンはハーマンの心遣いが嬉しかった。
この人ならば全て話しても良いと思った。
マリンは続けた。
「自分の意志でガットラーに付いた者はいなかったと言うんです。」

ガットラーは対象とする科学者の家族を人質に取りアルデバロンに協力するよう迫った。
断ろうにも家族共々軍に拘束され、もし断れば皆殺しだと脅された。
実際そうなった者もいたという。
タワーを含め三人の科学者と家族は燃え上がる研究所を見ながら、どうにもならない運命に身を委ねるしか無かったという・・・
「君はそれを信じるのかね。」
ハーマンは聞いた。
「解りません。そうであって欲しい気もします。でもそれだけでは無いんです。」
マリンを悩ませたのはそんなタワーが最後に言った言葉だった。
「父上の意志を継いでSー1星、一億の民の為にアルデバロンで働いて欲しい。」  


「まあ、そんな事も予想はしていたがな。
この戦いが終わった時の君の身の振り方は博士 も長官も心配していた。で、どうするつもりだ。」
「解りません。俺は今までそんな事は考えもしなかった。」
マリンは精一杯の気持ちで答えた。事実そうだった。
「いかにも君らしいな。だがマリン、自分の事もちゃんと考えねばな。私達は君に頼りす ぎていた。
これは君自身の問題だ。力にはなりたいが最後は自分で決めるしかないだろう。」
ハーマンは冷静だった。
引き留めようともそれ以上詮索しようともしなかった。

マリンはこの件をしばらく自分一人の胸に留めておこうというハーマンの配慮を遮り連盟に報告した。
ただ、雷太とオリバーには知らせないでくれとだけは言った。
二人が知ればジェミーの耳にも入るだろう。
マリンはジェミーの気持ちに気づいていた。
かといって泣かれて地球に残ってくれと頼まれるのはたくさんだった。
マリンが今話したいのはジェミーではなかった。


三度に渡った南極での会議は終了しマリンはBFS基地に帰還した。
彼は交渉の間中、終始地球人としてアルデバロンと接した。
タワーとはあの後も何回か話した。
アルゴル視察の際は他の科学者達とも会うように説得され、一応はこの問題に区切りをつけようとしていた。

ただ連盟の態度には悩まされた。
モーガンは露骨にマリンを引き留めにかかってきた。
内心悪い気はしなかったがそれがどこから来ているのか物なのかはマリンにも解った。
万一の不測の事態に対してバルディオスのメインパイロットが敵に着く事を恐れたのだ。
その態度は地球防衛の責任者としては当然なのかもしれない。
そう解ってはいてもマリンはいらだった。

「だから言わん事じゃない。」
ハーマンはそうとばかりにマリンとモーガンの間に入り事態を見守ってくれた。
連盟において彼だけは個人としてマリンの問題に接してくれているようだった。
BFS基地でもこの件は皆の耳に入っていた。
帰るなりマリンはジェミーに泣きつかれてしまった。
マリンと行動を共にしながら何も聞かされていなかった雷太は水くさいとマリンを責めた。
オリバーだけはこの問題から一歩引いた態度で接してくれたので気が楽だった。

一年あまり前・・・マリンは同じ様な猜疑の中にいた。
どう近づこうと彼は異星人なのだろう。
(いや、それは違う・・・・)
皆はマリンが決して地球人と同化しない人間だと知っていただけだった。

マリンは地球と地球人に憧れ、共に生き共に死にたいと願った。
そして地球の自然を愛した。
海に身を投げ出すように地球人に魂の全てを委ねられれば幸福だったのだろう。
それさえ出来ればもっと楽に生きる事が可能だろうといつもそう思った。
地球を愛しいと思えば思うほど息苦しさに苛まされてばかりいた。
マリンの自我は最後の砦のように堅く扉を閉ざし、地球人の受け入れを拒んだ。
引き裂かれるように心は二つに裂け、やがて想いは彼の地へと還っていくのだった。
マリンが本当に愛した物・・・
それはSー1星の赤く染まった海と大地だった。


マリンは月影に頼み込みアフロディアと二人だけで話す機会を作った。
表向きは最初のクーデター首謀者である彼女にタワーの証言を確認する為だった。
だがマリンはその事を聞くつもりはなかった。
今さら蒸し返してどうなる物でもない様な気がしたからだ。
あの日から全てが変わってしまったのだ。

アフロディアはどこかしらあの海を思い起こさせる存在だった。
重く沈んだ眼差しはどこまでも光の届かない水底の様にも思えてならなかった。



ほぼ一月振りに見るアフロディアは傷も回復し表面上は元気にも見えた。
そこに以前のような激しさは無く、ただ憂いを含みながら静かに座って海を見ていた。
その姿は傷ついた小動物を思わせた。何かに必死で耐えている様にも見えた。

アフロディアはマリンの突然の訪れに戸惑っている様子だった。
以前なら必ず側にいた看守もいなかった。
相変わらず監視カメラは回っていたが、マリンと二人きりでこの狭い空間にいる事が彼女を息苦しくさせた。
「ただ・・・お前と話がしたかっただけだ。」 
マリンはそうは言ったものの後が続かなかった。
何も話す事など無い様に思えた。
会ってみるとなぜ自分がここに来たのかも、理由は見つけられない気がした。
ただこうして二人で居たかっただけなのかもしれない。

アフロディアはマリンのそんな気持ちを敏感に察したのか自分から切り出してきた。
「お前は地球に残るのか。」
アフロディアには当然双方の一連の動きは知らされていない。
もちろんマリンが抱えている問題についても知る由もないはずだった。
「これでもアルデバロンの司令官だったからな。それくらいは読める。」
やや自嘲気味にそう言う姿にかろうじてかつての面影があった。
「連盟はお前に何か言ってきているのか。」
アフロディアの読みは正確だった。彼女には何もかも見えているのかもしれなかった。
マリンは何も言えずにただじっとその顔を見た。
いっそかつてのように罵倒してくれた方が楽だとも思った。
「何か私に聞く事があるのだろう。」
「いや・・別に・・・。ただ・・お前の顔を見たくなっただけだ。」
「私は又、お前が父親の敵でも討ちに来たのかと思ったがな。」
アフロディアはマリンの心からの言葉をはぐらかした。

又来ても良いか、と尋ねるマリンにアフロディアは答えようとはしなかった。
「勝手にしろ。」
アフロディアはそう一言だけ告げると視線を外して海を見た。
その日二人はそのまま一緒に海を見て過ごした。


あわただしく時は過ぎ予定されていたアルゴル視察の日が来ようとしていた。
アルゴルはこの日の為に亜空間を離脱し木星に着陸していた。
地球からは連盟軍、BFSら各部隊が集結し不測の事態に備えアルゴルを囲むように待機していた。
雷太、オリバーもバルディオスで待機していたがマリンだけは月影らと供にアルゴルに向かった。
マリンもBFSの一員としてバルディオスで警護を務めたかったが、月影とクインシュタインに説得される形で同行したのだった。
二人は、マリンの行く末を心から心配していた。
マリンが自らで正しい判断を付ける為にも自分の目で確かめる必要があると思ったからだった。

アルゴルでは地球軍は思いの外歓迎されたと言っても良いだろう。
アルデバロンもこの戦いで多くの犠牲を払い、今は静かに失った物の大きさに耐えているかのようだった。
幾つかの小さな小競り合いはあったようだが、四日間に渡る視察はおおむね順調に過ぎていった。
クインシュタインは科学局から進んだ技術を学び、ハーマン、月影らは独自のスタイルのアルデバロン軍から何かを得たようだ。
マリンもタワー達反ガットラー派の科学者と会っていた。
今となっては共にレイガン研究所の生き残りともいえる存在だった。
彼らはあの日何も出来なかったばかりか、こうして生き残った事を詫び、レイガンの冥福を祈りつつマリンに悔やみの言葉を述べた。

今まで父を悔やんでくれた者はいなかった。
マリンの境遇を、父の死を悲しんでくれた者、慰めてくれた者はいたが祈ってくれた者はいなかった。
地球人は彼の生い立ち、苦しみよりももっと多くの物を抱えすぎていた。

マリンはあのがれきの下に父を一人残してきた事を今でも悔やんでいた。
彼にとってたった一人の肉親の死を今でも悔やみ、その悲しみを共に出来る人間がいた事が嬉しかった。
その時マリンは消し去ろうとしていたその身に確かに流れるSー1の血に気づいたのかもしれなかった。

そのままタワーに連れられアルゴルの内部をつぶさに見た。
時折、人々の指すような視線に足が止まった。
あれが裏切り者だ、そう囁く声までも聞こえるような気がした。
だがそれは事実だった。
彼がこの先どのように生きようとも背負わねばならない十字架だった。
その憎しみから逃げる事など出来はしないだろう。

かつては敵として潜入した事もあるアルゴルだったが、今は見る目が違った。
Sー1星人も地球人も同じ人間だった。生きて、悲しみ、喜ぶ血の通った人間だ。
なぜ殺し合ったのだろう。
その後悔と疑問だけがただ残った。

マリンが最後に案内されたのはガットラーが最期を迎えたホールだった。
(ここで死んだのか・・・)
ここに倒れ込んだ、という壇上に上がってももう何の感慨も湧きはしなかった。
ガットラーの死にだけは正当性があると思った。彼は死ぬべくして死んだのだ。

去り際のマリンはふとホール一面に広がる壁の模様が目に入った。
何か文様のような物が壁一面に画かれているのだった。
だが引きつけられるように近づいたマリンは愕然とした。
それはこの戦いで死んだ、何十万という兵士の名前だった。
かつて確かに生きていた名も知らぬ人々の名前。
マリンはそれら全ての死に直接関わってきたはずだ。
「お前が殺した。」
地の底から彼を恨み口々にそうつぶやく声なき声。
死者の放つ冷たい吐息さえもすぐ耳元に感じられ総毛立った。

立ちつくすマリンを現実の世界に呼び戻したのはタワーだった。
「さあ、行こう。もう終わった事だ。」
だがマリンはその場から動く事が出来なかった。


その後世界連盟とアルデバロンは正式に平和条約を締結し講和した。
アルデバロンは手中に収めた地球上の核兵器の放棄を約束、その後撤退し太陽系から姿を消すとの事だった。

血で血を洗う戦いは終わった。
世界連盟は壊滅状態にある各都市の復興を計画し始めていた。
連盟軍、BFSは共に放棄された敵要塞の調査、撤去、アルデバロンへの物資の補給に追われていた。
そんな中マリンだけはそれらの作業に直接携わる事はなかった。
万一に備えパルサバーンと共にBFSに待機していたのだ。
月影はマリンに考える時間を与えたかった。
そのためにスケジュールに追われる復興プロジェクトに参加させなかったのだ。
だが実際には連日のように現れる連盟幹部の対応に追われ、まともに考える時間など取れはしなかった。
彼らは口々にこの一年あまりの戦いで彼がいかに勇敢に戦ったか、決して敵に後ろを見せなかった等と言いながら誉め沿わした。
これからもいつ来るとも解らない異星人の侵略から地球を守って欲しいと言いながら地球に引き止める作戦に出た。
ある時はこの戦争で親を亡くした子供達に花束を持たせ、マリンこそが地球を守り抜いた勇士であると感謝の言葉を口にさせた。
バルディオスを見せて欲しいと無邪気に足下に絡みつく小さな手。
抱き上げた体の温かさ、重さはこの戦いが少しでも意味ある物だったのだろうかとも思はせした。

 
月影とクインシュタインはこの問題はそんな外野の声に左右されずに決めるべきだと考え、ハーマンを通して連盟の動きを止めた。
マリンは誰よりも勇敢に戦った。
だからこそこれからの人生を彼自身の手で選んで欲しかったのだ。

マリンは悩んでいた。どう考えても結論など出ないような気がした。
それならば住み慣れた地球に留まり連盟幹部を喜ばせるのも一つの手かもしれないとも思った。
そしてマリンは今日もアフロディアを訪ねるのだった。

アフロディアだけが答えを知っている気がした。
あの部屋で、小さな窓越しに同じ海を見れば何かが掴める様な気がしていた。
マリンがそう望むならと、月影は彼女が拒みさえしなければ自由に牢を訪ねる権限を与えた。
相変わらずのボディチェックや、一回に許される時間を制限はされたが、そこにアフロディアが居るというだけでなぜかマリンの足は牢へと向かった。
アフロディアも彼の訪問を拒みはしなかった。
決して喜んでいる風ではなかったが一度も拒む事はなく、そこには消極的ではあるがマリンを受け入れる姿勢があるようにも思えた。

アフロディアの今後についてはアルデバロン撤退後、連盟によって裁判に掛けられる、とだけが決まっていた。
おそらくは死刑だというのがおおかたの見方だった。
むなしかった。
同じ事をしてきた二人なのに一人は許され、一人は死なねばならないというのだろうか。
ただ見せしめの為だけに殺されなければならないというのだろうか。
マリンにはどうしても納得できなかった。何度か月影にも掛け合った。
地球人の心象から処刑が避けられないなら撤退に合わせて捕虜として返還できないかと相談した。
しかし答えはノーだった。
マリンの身を気遣い何かと案じてくれる月影だが、事アフロディアに関しては厳しかった。
又アルデバロンもあのような形で手放した元司令官の身柄を引き取る気はないという。
アフロディアはどちらにしてもただ死ぬ為に今日を生きているのだった。


「今日の海は深いな。」
アフロディアはそう言ってマリンを見た。
アフロディアはいつも海を見ていた。
死にゆく人間にふさわしく鋭敏になった瞳で見るのだろう、その日の海の色、波のうねりを誰よりも敏感に察しているようだった。 
「そうだな。」
マリンもかつて同じように海を見ていた事があった。
一年前、捕虜として捕えられ監禁されたあの時、同じように海を見ていた。
「この海を見たから戦ってしまった・・・」
あの時は何も考えなかったと今になって思う。
ただ目の前の海に突き動かされるように銃を取ってしまった。
戦うべきではなかった。殺し合うべきではなかった。
「過ぎた事だ。」
アフロディアはマリンの気持ちが手に取るように解った。
だがそうやって自分を責める事に何の意味があるというのだろう。
全てを時の彼方へと忘れ去るしかないではないか。
「アルゴルではカイザーに会ったか。」
月影に止められてはいたがマリンはここ数ヶ月の動きを話すようになっていた。
だがその名は誰からも聞いた事がなかった。
アフロディアは続けた。
「暗殺の実行犯だ。悪い男ではない。きっとお前の力になってくれるだろう。」
アフロディアはこの場におよんでもマリンの今後を気遣ってくれようとしているのだった。
マリンは言葉を無くした。
ガットラー暗殺の実行犯については優秀なスナイパーであるとだけしか知らされていなかった。
とうとう個人の特定までは出来なかった。
アフロディアは続けてアルデバロンの詳細な内部事情について語った。
尋問では決して証さなかった事ばかりだった。
「アフロディア、もういいんだ。もういい。」
「聞いておいて損はないぞ、気を付けないと足下をすくわれる。私のようにな。」
アフロディアは続けた。
まるで沈黙が耐えられないかのように話し続けた。
        

アフロディアを連れてどこか遠くに行けないだろうか・・・・
マリンは自室でそんな事を考えていた。
二人でどこか遠くへ、ここではないどこかへ。
牢のキーは開けられる、もし駄目だったら壊しても良いだろう。
それから看守を人質に取ってパルサバーンで逃げよう。
今BFSに待機してあるメカなら戦わずに振切れる。
地球は広い。どこか遠くでひっそりと暮らせばいい・・・・・

どう考えてもばかげていた。
逃げおおせる可能性もさる事ながら、アフロディアがついて来るとも思えなかった。
アフロディアは決して逃亡など望んでいなかった。

誰もがそれぞれに自分のなすべき道へ向かって走っていた。
地球人は平和と復興に向けて、Sー1星人は新たな旅立ちに向かって、そしてアフロディアは誇り高い死に向かって。
一人、マリンだけが行く場を無くして立ち止まっているのだった。

マリンは己の手をじっと見た。
開いた手からは血の臭いがした。
足下から立ち上ってくる陽炎のような臭い。
彼が殺めた数万人もの罪もない人々の流したおびただしい血、そしてミランの血の臭いだった。
なぜ戦ってしまったのだろう。父の最後の言葉の何を聞いていたのだろう。
戦え、銃を取れとは決して言わなかったはずだ。

マリンはタワーの言葉がいつまでも耳に残って離れなかった。
もし今、なすべき事があるとしたらそれは故郷の人々に対してではないだろうか。
決して言葉にはしなかったがアフロディアもそう望んでいるようだった。

再びマリンの足は独房へと向かっていた。 
アフロディアはいつ、どんな時に来ようとも拒みはしなかった。
けれどそれは一種、哀れみのようにマリンを包み込んでいた。
彼女のありのままの心は暗い海のように遠く沈んで見えなかった。


「今、会いたい、今、どうしても会いたいんだ。」
マリンに許された面会の時間はとっくに過ぎていた。
牢の照明は落とされアフロディアは休んでいるという。
「今、会いたいんだ・・・・・」
そう繰り返すマリンに何かを見たのだろう、看守はアフロディアの意向を確かめてくれた。
ほどなく扉は開けられた。
「マリン、三十分だけだぞ。なるべく面倒は起こさないでくれ。」
アフロディアはやや暗い牢の中でじっとマリンを見つめていた。


「アフロディア、教えてくれ。俺はどうしたらいい、解らないんだ。」
アフロディアは彼を導くほのかな光だった。
マリンは自分をその灯火を頼りに集まる小さな羽虫のようだと思った。
「何か言ってくれ・・・・」
こんな事を言うつもりで来たのではなかった。
だが顔を見たとたん、言葉が溢れ出てしまった。
ただ、戦い、破壊しただけだった。彼女の力になってやる事さえ出来はしなかった。
「それはお前自身が決める事だ。自分で考えろ。」
「俺はもう疲れてしまった。もう何も考えられない・・・」
マリンは項垂れてアフロディアの言葉を待った。
彼女に全てを委ねれば楽になれた。その審判に従えればそれで良かった。

静かだった。
二人の落とす吐息まで暗い室内に響いた。
アフロディアの残り少ない安らかな時間までも奪おうとする自分が情けなかった。
けれど、これで良いのだともどこかで思う彼自身がいた。
そんなマリンの姿は道に迷い、途方に暮れる子供のようにアフロディアの目に映った。
在りし日のミランもこうだった。いつも何かを捜していた。
「お前のする事なら間違いはないだろう。もっと自分に自身を持て。」
厳しくもあり、又暖かくもある口調だった。
「お前はお前の信じる道を行けばいい。」
アフロディアは教え諭すようにそう言った。
「俺は何も出来なかった。ただ殺した。それだけだ。」
「お前は何も間違っていない。間違っていたのは私だ。お前は正しい。」
今はまだ迷いの中に居ようとも、やがてそこから抜け出して再び立ち上がるだろう事をアフロディアは確信していた。 
けれどその言葉はマリンの胸に鋭く刺さった。
間違っていたのはアフロディアだけではなかったはずだ。

「なぜだ・・・」
思い出すまいとしていた記憶が再び目の前いっぱいに広がった。
「俺は君の大切な人を殺したんだ・・・・」
あの日・・・同じように突然、愛する者を奪われたアフロディア。
その亡骸に涙する事も葬る事さえ許されずにただ戦うしかなかったアフロディア。
時間を戻せる物なら戻したかった。
今ならあんな事はしないかもしれない・・・
いや、それでも彼を殺してしまうのだろうか。
「俺は君に謝らなければいけないんだ・・・」
彼女が間違っていたならばそうさせたのはマリンだった。
二人が辿ってきた道はいつも同じだ。

アフロディアも辛い気持ちであの日を思い出した。
「もういい・・・」
今でも腕に残るミランの重み。抱き上げても、もう動かなかった愛しい体。
ミランは彼女の全てだった。
誰が悪かったというのだろう。そんな事は解っていた。
それでもマリンを憎む事でしか自分を支えられなかった。
「もうお前を恨んではいない・・・」
いつからだろう、マリンを憎む事など出来なくなってしまった。
そんな事はマリンも解っているはずだった。もう忘れてしまいたかった。
「後はミランの所に行くだけだ。」
これでけりが付いたのかもしれない・・・
アフロディアは溢れ出る感情に飲み込まれそうな自分を抑えて言った。
「もういい・・・」


「俺は厭だ。」
彼女の居ない世界が存在するとは思えなかった。
そんな、二度と朝の来ない暗闇のような世界を生きるのは厭だった。
マリンはアフロディアの腕を握って言った。
「君を失いたくない。」
マリンはおずおずと彼女を抱いた。
最初はゆっくりと、やがて力強くそのあまりに細い体を抱きしめた。
こうなる事は解っていたような気がした。
「君を失いたくないんだ。」

マリンの胸は広く暖かかった。
このぬくもりを捜して長い旅をして来たのかもしれない。
マリンは愚かだった。
けれども、その愚かしい、まっすぐな熱情に惹かれてここまで来た。
彼女が愛したのはこのひたむきな強さだった。
最初から憎む事など出来はしなかったのだ。
アフロディアは戸惑うように頬を伝うマリンの唇に答えた。
そして又、互いに確かめ合うように口づけをした。
二人の長い旅は終わったのだ。
だがアフロディアは逃げ込むようにその先を求めるマリンを制するしかなかった。
彼女のうつろげな視線の先には監視カメラが光っていた。
今、二人を妨げる全ての物が悲しかった。
海に降る雪 旅の終わりに

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