第32話 「破滅への序曲(前編)」1981年1月25日放映 首藤剛志脚本 広川和之コンテ 西村純二演出 「最終回 破滅への序曲」としてTV放送 TV放送における最終話 |
亜空間エネルギーの欠乏により三時元復帰を余儀なくされたアルデバロン。 核兵器使用を望む幹部に対しガットラー自ら指揮を執り、地球人抹殺作戦を試みる。 それは南極、北極両地点に人口太陽を落とし、地球全土を水没させる恐るべき作戦だった。 自然の猛威の前に成すすべも無く立ちすくむBFSとバルディオス。 コンピューターがはじき出した死傷者数は30億・・・・ |
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第32話。 TV放送では第31話、最終回として放送されました。 DVDで見るとおり、押し寄せる津波が真紅に染まり、「完」の文字が現れそこで終了。 30億の人的被害を出した地球の運命も戦いの行方も判らないまま。 TV朝日の「爆笑問題 これが太田のベスト2 アニメ編」(you tubeに飛びます)でネタにされたこともあるくらい 伝説にもなった最終回です。 これは39回放送予定だったものが31回で打ち切りになったためなのですが まず最初にこの打ち切りについて関係者に伺った当時の事情も踏まえ語らせていただきたいと思います。 ここでも何回か話にあがりましたが元々バルディオスは26話(2クール)の放送予定が途中で39話(3クール)に伸びています。 当時のアニメ雑誌などには「評判も良く放送も伸びて、云々」とありますが、これはかなり盛ってある説明で 実情としては玩具があまりにも売れなかったから・・・なのだそうです。 (放送が終わってしまえば売る望みが0になるので。ある意味、背水の陣) 中盤以降、製作元の葦プロがバルディオス一本に集中できたことで作画も安定、作劇のキーパーソン首藤剛志さん執筆回も増え 29話「地球氷河期作戦」など、今見てもまったく遜色の無い話数もあるほどです。 作品全体のレベルは上がってきたにもかかわらず視聴率競争に敗れ 放送時間は(キー局のある関東では)日曜早朝に移されてしまいます。 現場レベルでの打ち切りのうわさは随分前からあったそうです。 それでも放送中の連続作品を打ち切るか否かはどこか一つの声で決まる物でもなく 打ち切りを望む立場もあれば続行、短縮、さまざまな模索があり二転三転の上、最終的に「1月いっぱいで打ち切り」と伝えられた時には 仮の最終回を作る余裕はまったく無く、放送に穴を開けないために他は無かった とお聞きしました。 当時のアニメ雑誌などには 「いかにも慌ててそれらしく作りました」的な最終回を作らずに ぶっちぎりで尻切れトンボな所にかえってスタッフの気骨を感じた、などの意見もありましたが ホントにホントにどうしようもなかったのだそうです。 それでも次の後編にあった津波のシーンを前編の最後に編集でつなげて 津波のシーンを長くすることによって余韻を持たせ、すこしでも最終回らしくしたけどそれで精一杯。 せめてもう少し時間があったならもう少しやりようもあったのかもしれないけど・・・ とのお話でした。 「破滅への~」は打ち切りの裏事情に加えお話自体が大変重い。 以前はそこまで感じなかったのですが 東日本大震災を始め、近年の自然災害の後で見ると押しつぶされそうな重苦しさを感じてしまいます。 バルディオスを語る上で無くてはならないお話なのですが安易に「見て」と薦められる物でもありません。 視聴の機会が難しい方はぜひこちらを。 前回の31話「失われた惑星」でもリンク引用させて頂きましたが「破滅への~」も、シナリオ執筆の首藤剛志さんのコラム WEBアニメスタイル シナリオえーだば創作術 第31回 太陽系改造計画・・・・・打ち切り に創作エピソードが詳しく紹介されており興味深いです。 アバウトであっても科学的に根拠のある人口太陽落下→水害によって 地球=S-1星の裏づけのみならず地球とアルデバロンとの圧倒的な人口差に決着をつけ、 迫り来る水の脅威で見る者を釘付けにする。 前半は月影の人情話が出てたるい印象ですが人口太陽(メカデザインが単純かつシャープでイイ)が出てきてからの展開は (本来予定されていた)最終回まで一直線に進むものでこの時点でラストを予測できる視聴者は居ないと思います。 鬼気迫るような映像が続き、息を呑むとはまさにこのこと。 製作サイドの確かな手ごたえが伝わってくるようです。 地球の運命は・・・そしてマリンの運命は・・・ 幾度と無く流れた予告もこの回はありません。 (作られてフィルムになってるかもしれませんが放送は無くDVDにも収録されていません) でも今はDVDや配信で次の33話、34話までは見れます。 地球はこのまま滅びてしまうのでしょうか・・・・ |
第33話 「破滅への序曲(後編)」 首藤剛志脚本 湯山邦彦コンテ 大庭寿太郎演出 打ち切りのため未放映 DVD,LDに収録 |
未曾有の大災害は全土を覆い地球は国土の大半をその人民とともに失った。 わずかに残された世界連盟軍は海底基地に移りBFSと共に最後の決戦に備えていた。 水に覆われた新しい地球・・・ 新しく現れた地形は旅立ったはずのS-1星に酷似していたのだった。 |
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後編に当たる第33話もやはり首藤さん執筆のコラム WEBアニメスタイル シナリオえーだば創作術 第31回 太陽系改造計画・・・・・打ち切り に詳しいです。 このコラムの中に 「未曾有な災害だから、かなり科学的な部分はラフな表現にして、そのぶんを、大水害で生き残るものと死んでいくもの・・・・ 地球軍側で、家族を持っているもの、独身で孤独な人間達との感情を描くことにした」 とあるのですが、まさにその通りで後編では災害のリアルさやスペクタルシーンに重きを置いていません。 これが実写映画だったらまさにクライマックスシーン! たっぷりと尺を取りSFXを駆使して見応えのある映像を用意したと思うのですが、 バルディオスでそれをしなかったのは脚本の意図でもあったわけですね。 前編の32話は上條修さん入魂の作監回でキャラ、戦闘シーン、水害シーンとレベルが高いのですが 続く33話はちょっと残念入っていて、アップのシーン等は綺麗なのですがその他はあんまり。 水害に対しても、もう成すすべも無いと明かされており前編に見られたような先の見えない恐怖は感じられません。 回想シーンも多いので作画のばらつきが目立ち、最近の綺麗なアニメやSFXを見慣れてる身には スケールの壮大さに比べるとちゃちな感じも否めません。 仮に製作時に最新の技術を使ったとしても時がたてば古びてしまうものだし 技術的に綺麗なだけの映像は案外記憶に残らないものです。 比べて人の気持ちと言うものは普遍で時がたっても変わることがありません。 尺の問題や作画方の負担を考慮してかもしれませんが首藤さんが感情をテーマに選んだのも もしかしたらそこら辺を考慮してだったのかもしれないと最近になって思うようになりました。 絵が多少アレでも声優さんの熱演もあって 近しい人を思うその気持ちが静かに、ひたひたと伝わって来るんです。 私なんかも四十路を遠く越えて近親縁者を見送る事も多くなってきたのですがこればかりはどうしようもない。 人の死、命の重みを知る者はその痛みを思い出してしまう。 地球水没(地球=S-1の伏線で地形を変える)は作劇の都合なので 「虐殺」の意味合いとしてはアルデバロン的にそれまでの戦いとどう違うのか、いまいち分かりませんが アフロディアはこの作戦に良い感情を持っていない描写があります。 作戦の成功を誇るガットラーに対して「女、子供、老人まで(無差別に殺してしまった・・の意で)」とつぶやいていて 反アフロ派>なんだそりゃ の私からしたら、今までアフロがやって来たことを大きくやっただけ!今頃何ぬかしてるんじゃ!!!! と、しばきたくなりますが、これは中盤以降続いてきたアフロディアの心象話の総仕上げと取るのが正しいのでしょう。 今回は自分の手を汚していない、安全圏から見下ろしてる分 これで良かったのだろうか、と振り返る事が出来た・・・付け加え 作戦の規模の大きさを見て、やっと今までの自分がしてきた事に気が付いた、とも取れます。 次の34話でもアフロディアは戦ってはいますがどこか後ろ向き。 続く35話ではガットラーから離れてきます。 アフロディアって「殺せ殺せ、マリンを殺せーーーーーーー!!」とヒステリックに叫んでる印象が強くて どういう人か分からなくなりがちなのですが、テンプレ通りの敵を演じさせる必要があったためと 複数の脚本家が書いてるのでキャラクターの統一の意味でぶれてしまったのではないかと思います。 ここまででマリンとの愛憎劇を描いた話数は 1話「孤独の追跡者」11話「情け無用の戒律」17、18話「裏切りと暗殺の旅路 前後編」4本が酒井あきよしさん執筆。 20,21話「甦った悪魔 前後編」22話「特攻メカ ブロイラーの挑戦」25話「ガットラー暗殺計画」31話「失われた惑星」と 今回の「破滅への序曲 前後編」の7本が首藤剛志さん執筆(続く34話「地球の長い午後」も首藤さん) この話だけ繋げて見ると割とすっきりと言うか 特に20話以降は全部首藤さんが書いているので、ああ、アフロディアってこういう人なのかな って人物像が伝わってきます。 「倒せ、殺せ」と叫んでるのはお子様向けロボットアニメの悪の司令官。 心象話のアフロディアは25歳の生身の女性。 こう分けて考えると理解しやすいのではないかと思います。 人間を痛みを知る者、知らぬ者の二つに分けるとしたらアフロディアはかろうじて前者(ミランの死を経験してるので)ガットラーは後者。 女子供発言は1話以降、ガットラーの手足だったアフロディアをガットラーと区別させるためと思うと納得できます。 怒涛のクライマックスに向けて話は続きますが残るフィルムはあと一本。 映像作品としては次が最後です。 |
第34話 「地球の長い午後」 首藤剛志脚本 野田作樹コンテ 山田雄三演出 打ち切りのため未放映 DVD,LDに収録 |
水星、金星が消滅し水没後の地球はS-1星の地形と同じに変わった。 地球とS-1星の間には何かがある・・・ 互いにそう気づきながらも戦いは激しさを増し、 地球はハーマン率いる連盟軍の大半と月影を、アルデバロンは旗艦一隻を失う。 地球とS-1星との違いは外惑星の数と放射性物質で汚染されているか否か、それだけだった。 |
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ラストへのアプローチの意味合いが強い回だと思います。 地球はS-1星の過去の姿ではないのか、同じ星ではないか、の仮説が初めてクインシュタインによって語られる事が一つ 控えめながらアフロディアがガットラーに意見したり 後半ではマリンに協力→地球は救われたけど責任問題に発展し次の35話で失脚の伏線が一つ 今回は食い止められましたが放射性物質による汚染の前振りが一つです。 「月影の戦死」と言うBFSにとっては大きなイベント(月影に失礼だけど見せ場的に)があるけれど 同じ特攻でも29話でデビットが死んでった時みたいな華やかさがないんですよね。 34話は葦プロ作画で普通に綺麗だけどZ5みたいな華やかさはないですし まあ、29話はデビットを美しく散らせるために一本丸々使った話なので比較の対象にするのは気の毒ですかね。 それよりも前回、前々回の津波で35億死亡(最終的な死傷者数は35億)のインパクトが凄すぎて ラストに近づいてるんだな、とうとうメインキャラが死に始めたか・・と言う印象です>ひどい 月影の犠牲はさておいて、お話の骨子は アルデバロン攻めてくる→BFS危うくなるけど危機一髪で勝利 の王道路線を外してないので変則的だった「破滅への~」の後に来ると物足りなく感じてしまうんですね。 未製作なので完成品を見ることはかないませんが次の35話、36話はマリン、アフロの愛憎劇に決着 と全編通しても見せ場な回なので流れ的にはここで箸休め、の意味合いが強いんじゃないでしょうか。 仮に箸休めであったとしてもメインキャラの月影戦死やラストまでの一本道であることには変わりは無いので 今までに無い強いセリフが散りばめられてるので人間模様的には見所の多い回でもあります。 (マリンとジェミー、博士と月影、マリンとアフロなどなど) 特に博士と月影の下りは豪華本の塩沢さんと神保さんの対談でネタに上がっていたエピソードなのですが 活字とフィルムでは受ける印象がかなり違います。 この2人は32話でも月影の死を前提とした密談を交わしていますが、今回その死が避けられない物になっても 極端に感情的にならずに静かに受け答えしている分、大人の情愛が漂います。 アクションの見せ場は核の露出だと思うのですが (ハーマンの海底基地は核を燃料としていたので攻撃にあい核燃料が露出、そのまま地底にのめり込む) これは1979年に公開された映画チャイナシンドロームの設定をそのまま使っていると思われます。 (TVバルディオス放送は1980~81年) 汚染一歩手前と言えば大変な出来事なわけですがお約束でバルディオス(月影)が処理してしまうので 津波の時みたいに、この先どうなっちゃうんだろう!的な緊迫感はさほど感じられません。 ですが逆に昔のTVアニメなのにアクシデントで核燃料が制御不能って、よくこんな題材を持ってきたなと 最近ではなじみにもなってしまった劇中の専門用語を聞くにつれ感嘆の思いです。 恐らく1979年のスリーマイル島の原発事故も背景にあったのでしょう。 (余談ですが「チャイナシンドローム」は個人的にお奨め映画です☆>最近DVDで見直したけど良かったです(いろいろな意味で) 昔から思っていましたがカメラマン役のマイケルダグラスが広川監督(のお若い頃)に似てたりもします) 後はですね・・・全体に寂しい回だと思うんです。 劇場版でちゃちゃっと、ではなくて34本あるTVシリーズ(しかも所々作画がかなりアレ)を見よう って心意気の方はバルディオスが打ち切り作品でラストがないこと 泣いても笑ってもこの34話が最後で尻切れトンボでもこの先は存在しないことを意識して見ると思うんですよ。 私は未だにそうなんですが本編が終わっても予告もない34話見るとやりきれなくなって悲しくなります。 初見の方もシリーズ物を見終わった満足感は無いのではないでしょうか。 でもね HP始めてから14年。 資料もずいぶん集まったし、このTVレビューもここまでたどり着けるとは正直思いませんでした。 フィルムになってない5本を私なりに昇華できるように頑張ります。 (2015年1月) |
テキストスタイルのレビューはフィルムの上がってる34話で終了することにしました。 何回か書きかけたのですが、実物は存在しないけど資料は点在する未放映分を文章でまとめるのは困難で 出来そうも無いとの判断からです。 資料館のコーナーを従来あった放送文に加え、未放映分も追加して そちらで資料を踏まえ私の感想や紹介をさせていただくつもりでおります。 (2016年5月) |
(2016年5月)