マリンは何人? (こんなに違うTVと映画3) 

いきなりですかマリンは何人でしょうか?
HAHAHAHA~ そんなことも分からないのかい?
地球とS-1星は同じ星だから マリンは地球人であるとともにS-1星人でもあるんだよ。

って、うんうん、遺伝子的にはそうでしょう。
今回、問いたいのは自らの帰属意識。
マリンのアイディンティティーや行動原理は何処にあるのか です。

S-1星人でありながら地球人と行動を共にし 同胞S-1星人と戦うのですから
はっきり、どちらである との結論は出ないかもしれません。
TVシリーズなんかは悩みまくってますし。

でもTV、映画共に劇中クライマックスで自らのネーションを明言し行動に移しているのです。
今回はそこに注目してみます。
映画から行きましょう。
1時間43分辺りCHAPTER「結末」の所です。


劇場版

誤発射(安全装置くらい付けとけよ・・・)で核攻撃に見舞われた地球は放射能汚染。
宇宙で見守るしか出来なかったクインシュタイン博士は
同じくバルディオスに搭乗中のマリン、雷太、オリバー、ジェミーにこう発言します。

「諦めてはなりません。私たちは世界連盟のシェルターに向かいます。
そこで生き残った人々を救出するのです」

この時点で地球=S-1を把握しているのは地球サイドでは博士とマリンだけのようです。
汚染もマリン的には十分予測可能な出来事で、この先の地球の未来も予測可能です。
そんなマリンが次にとった行動は・・・・

画像引用Pioneer DVD
劇場版「宇宙戦士バルディオス」
葦プロダクション 著作

バルディオスを三機に強制分離(チャージオフ)して
ガットラ―が生き残っている可能性のある冷凍エリアに単身 パルサバーンで乗り込んでいくのです。

博士はそんなマリンに
「マリン もう戦いは終わったのです、戻るのです」
と叫びます。ジェミーや雷太 オリバーも
「戻ってこい マリン!!」
と懇願します。
それなのにマリンは

  「博士 雷太 オリバー そしてジェミー。
俺は行く.
俺は今、地球人としてガットラ―を倒しに行く。
宇宙の平和のために
地球の未来のために ガットラ―を追い続ける」


そう言って旅立ってしまうのです・・・・
画像引用Pioneer DVD
劇場版「宇宙戦士バルディオス」
葦プロダクション 著作
   

もうね・・・・・・
マリン、バカかあほかと。寝言は寝て言え!!!!!!!!!

この先 幾人残ってるか分からない地球人が数百年後の科学の発達したS-1星人となるのに
どれ程の苦労が待ってるか 一番分かってるのはお前だろうって!
連盟のシェルターだって使い物になるのか 現時点では全く不明。
人も物も不足しまくってるのに 一番高性能なパルサバーン持ってくんじゃねーーーーよっ!
地球人なら地球のために汗を流し 苦労し 働け!!
他のみんなはそうするって言ってんじゃん!!!
それともなにかっ!
ほっといても地球はS-1星になる=人類は滅亡しない
だから一抜けで俺の道を行くぜ!って事か!?

そりゃー、ガットラ―は存在しない方が安心できるよ。
だけど この状態の地球を攻めてくるかな?
念のためガットラ―を叩いておくっつーなら一人で行かずに
戦力温存してるバルディオス(ように見える。 バルディオスは目視できる損傷無し)
で行った方がいいじゃん!

・・・マリンがここで皆と別れるのは作劇の都合なんです。
ラスボス ガットラ―と決着を着けるのは主人公マリンの仕事。
対決せずに地球に戻り みんなと苦労しました☆ではお話にならないですからね。
だからこそ ここで別れの理由は
「同じS-1星人としてガットラ―の始末をしてくる」
がベスト。
その方が言われた博士たちはまだ納得できると言う物です。

ぱじゃた、こまけーな、そこは気にするポイントか?どっちでもいーじゃん。
そう思う向きもおありでしょうが ここはこだわりたい。
二つの故国で揺れるマリンは主要テーマの1つだったはずです。
少なくともTVではそうだった。
明言させるならそれなりの理由が必要なはず。

それにTV最終回(39話)マリンは
「S-1星人としてその責任をとらなければならない」
と言っているからです。
豪華本にもそう書いてあります。
なんでわざわざ変えたのか・・・・・・

それではTV版を見てみましょう。
私は39話シナリオ本体は持っていませんが 
以前お持ちの方からコ〇ーを取らせて頂いた事があり その画像です。

39話含むバルディオス各話シナリオは
首藤剛志さん寄贈の小田原図書館 寄贈資料にも入っているので
興味のある方は所定の手続きにそって閲覧を申し込んでください。

TV版

TVは映画とラストに至るまでの流れが少し違います。
35,36話、アフロディア死亡(確定)
37話、土星決戦でBFS基地&アルデバロンの要塞アルゴル共に破壊
38話、雷太戦死 キャタレンジャー破壊、 地球は放射能汚染 アルデバロン残存兵力消失
両軍共に戦いを継続するだけの戦力を失い 事実上の停戦状態になります。

39話 マリン、オリバー、ジェミーは地球各地の生存者を世界連盟のシェルターに救出
博士は生き残りの連盟職員と共にシェルター内の整備や食料確保に謀殺&
亜空間要塞の一部とみられる物体を発見
かん口令をひくもマリンの知るところとなり マリン、パルサバーンで単身宇宙へ・・・
の流れになっています。

39話「永遠への旅立ち」
シナリオ
(仮題 別れ・・・その愛と死)
酒井あきよしさん
広川和之さん 著

止めてたクリップが錆びて
紙についてしまって汚い・・
すみません。
 

モノローグだけど、ちゃんと「S-1星人として責任をとらなければならない」
って言っています。


TV博士は映画のように直接 マリンの声を聞いてはいません。
でも知ってしまった以上、マリンが出ていくのはその心情を思うとやむなし
と考えたのでしょう。
黙って出て行ったマリンをここで非難してもしょうがない
ジェミーやオリバーに後追いされても困ります。

マリンはS-1星人として務めを果たしに行ったのだから
私たちは地球人として残された地球人のために働くのだ・・・
そう 皆に諭しているのです。

もちろん 博士だって貴重な戦力であり、かけがえの無い仲間として
マリンに残って貰いたかったはずですよ。(高性能メカのパルサバーンも)
でも、現状どうしようもない、別れの時が来たのだ・・・・と そう言っているのです。



これは39話コンテ 山室清二さん作です。
やっぱり「S-1星人として」と言っています。

今、大人目線で考えたら私情は捨てて地球に残れよって思います。
この状態でガットラ―を倒す事に何の意味があるのか・・・
少なくとも博士たちシェルターの首脳陣は「戦っても地球に利益がない」の理由で
発見した冷凍エリアに対して静観の判断をしています。
(マリンも盗み聞きして知ってます)
こちらから仕掛けるのは私情でしかない。

もしかしたら残って惨状を目の当たりにしながら働くより
死にに行った方が精神的に楽なのかもしれないですね。
その意味では現実から逃げた と言えなくもないです。

地球の人々に真の平和を・・・
そう決意して旅立ったのに、TVマリンはガットラ―を倒せなかったんですよ。
ガットラ―を殺せば冷凍エリアに残ったS-1星人をも殺してしまうから。
本当に・・・何のために行ったのか。
元々ガットラ―は放射能で住めなくなった地球は諦め
他に定住可能な星を探す意向でしたので
結論で言えばマリンの行動は無駄でしかありませんでした。

マリンが選んできた道は全て裏目に出て、今もとても危うい。
ただそれでも私はこの私情で動きまくるTVの弱くて強いマリンがとても好きですよ。
マリンの心情は1話から見守って来た視聴者には共感できるんじゃないでしょうか。

コンテC-79
マリンの後ろに透過光?入射光?が入ってるのが分かります。
逆光になっていて決意の固さを表すとともに、孤独や悲壮感も背負っているように思えます。
何のために生き 何のために死ぬのか。
現実世界の私はフィクションのマリンの生き方を見てそんな事も考えてしまいます。

お話の進行上でもマリンは旅立たねばなりませんし その理由付けはやはり
「S-1星人として」でないと破綻してしまう、心理線が繋がらないと思います。



1981年12月19日の映画公開初日
第一回上映回に前売り握りしめて見に行きました。
当時14歳、中学2年生でした。
その出来栄えに色々びっくりしたけど
ここの「地球人として~」の下りはホントに驚きました。
聞き間違えたのかと思ったくらいです。

シナリオもコンテもここ20年で集めたものなので映画公開時は内容を把握してません。
でも所有していた豪華本にはちゃんと「S-1星人として」と書いてあって
その心情を理解していたのでこの改変は不可解でしかありませんでした。
葦プロダクション発行
宇宙戦士バルディオス (通称豪華本)

劇場版バルディオスって映画としての出来は良くないですよね。
理由は色々あるんだろうけど 大人の事情の負担が大きかったのだろうと推測しています。
一本の映画の企画を通し、制作して公開するまでには関係各所を調整して
バックアップしてもらわなければいけないですものね。
スタッフ&キャストの総入れ替えとかは悔しいけどもういいんです。
大人の事情です。理解できます。
考慮しなければいけない大人の事情に努めていったら肝心の映画が外れてしまった。
まあ そんなところじゃないですかね。

だけどさ・・・ラストのマリンが地球人かS-1星人かなんて大人の事情 関係ないですよね。
ここでマリンを地球人としなければいけない力が働いたとは到底思えないですよ。
だからこれはキャラクター解釈や構成の問題。

観客は地球人だから(当たり前)感動、共感させるためにマリンも地球人としたなら
あまりにも客を愚弄してますよ。
私たち そんなにバカじゃない。
それよりも「地球人として」のフレーズを入れなければ
安っぽくはなるけど巨悪に立ち向かう正義のヒーローとして理解できます。

それにラストでマリンはアフロを連れて地球に戻るわけですが
地球人として対決→終了なら、直行せずにBFSのみんなと合流しとけば?
じゃないですか。
まあ、一度アフロを基地に連れ帰ってトラブルになってるから今更、帰れないのはしょうがない。
でも「S-1星人として」にしとけばここもクリアーなんですよ。
同じS-1星人のアフロと2人だけで故郷の地球に戻った、になるから。
映画はスペースラブロマン
2人の愛の物語なのでコンセプト的にも収まりがいいんじゃないですかね?

私は(当時)豪華本しか持ってなかったけど
制作サイドはTVシリーズのシナリオもコンテも見れる立場だったはずですよね。
別物を作るつもりであえて見なかったんでしょうか。
見たけど参考にならなかった?見たけどスルーした?
「地球人として」にしても無理なく鑑賞できる出来だったら
40年もたってこんなに文句言わないですよ、私も。

大人の事情、関係ない所では真摯に作品とキャラクターに、
そしてTVを見ていたファンの気持ちに寄り添って欲しかったです。
それが私が思う映画の一番残念なところです。

まあ、私はマリンスキーだからここに拘ったけど
そんな事言ったらこの映画、どこもかしこもおかしい所だらけだからやる気なくしたとか
感覚がずれちゃったんですかね?
(それとも私の感覚が間違ってる?)
ただ他にも色々ある繋がらない、おかしい所は
あーここは大人の事情ですね って推測できるんだけど
ここばかりはなんでわざわざ変えたのか、それとも変えたと言う意識も無くて素でこうなのかな。
映画のクレジットを見るとそんな気もします・・・
これこそ大人の事情なのかな・・・ならしょうがない。

バルディオス応援団を自負しているので 悪く言うのは本意じゃないんです。
埋もれた美点を見つけ出し 後世に伝える
そのつもりでいたんですが 久しぶりにきちんと映画を見たら
公開時の怒りが甦った悪魔のように甦ってしまい 辛抱なりませんでした。
この気持ちを吐き出さないと次に進めなかった・・・

でも!
一周回って考え直してみました☆
映画マリンが地球人と称して旅立つにふさわしい理由をこじ付けてみましたyo

本当は私情は捨てて地球に残った方がいいと思ってる。
思ってるけど実際問題 過酷な環境から生き延びた地球人の中に
S-1星人である俺が居たら混乱の元になるのではないか。
もちろん博士たちは守ってくれるだろうけど、そうと伝われば暴動にだってなりかねない。
それはS-1星の地下都市 閉ざされた世界を経験済みだから解るんだ。
だから俺は地球人として 地球の未来のために消えたほうがいい。
ガットラ―は地球人になった俺が倒す。
地球にこれ以上 手出しはさせない。

そう短い時間に考え、旅立っていった・・・
そんでガットラ―との対決、死んだ?はずのアフロディアと再会を経て
やはりS-1星人なのだと自覚してしまった。
だから同じS-1星人のアフロを連れてBFSの皆の元には帰れず、2人での死を選んだ・・・
ってのはどうよ!

・・・苦しい・・・繋がらなくはないけど、逃げてるみたいでいかにも苦しい・・・
マリンは困難から逃げる人じゃないからなー(とりあえず 一度は立ち向かうタイプだよ)
やっぱり引き留める仲間を振り払ってまでガットラーを倒したい理由は S-1星人だから じゃない?
>しつこい


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(2021年12月)