新文芸座・アニメスタイル セレクション vol16
追悼 脚本家 首藤剛志に行って来ました

2010年10月に他界された首藤剛志さんの追悼イベント
「追悼・脚本家 首藤剛志」
新文芸座 2011年6月25日(土)10:30PMスタートに行って来ました。

このイベントは元々2011年3月に予定されていたのですが
東日本大震災の影響で延期となり日を改めて開催されました。

メモを取らなかったので全て記憶です。
トークショーは実際の発言とは違ってるところも多いと思います。
あくまでもぱじゃたのフィルター越しのものとお考えください。
       
       タイムテーブル
「戦国魔神ゴーショーグン」全26話予告上映
湯山邦彦、小山茉美、高橋望、小黒祐一郎(敬称略)トークショー
劇場版「戦国魔神 ゴーショーグン」上映
「魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞」上映
「銀河英雄伝説 わが征くは星の大海」上映
「劇場版 ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」上映

ギリギリまで行けるかどうか解らなかったので当日券ねらい。
前々日の段階で前売りは売り切れたそうなので
入れるか心配だったのですが通し番号143で当日券GET。
入場と同時に特別編集した追悼文集
(非売品 31P 追悼・首藤剛志オールナイト実行委員会発行 )を頂く。
ゴーショーグン予告集はマジで懐かしかったです。
回を追うごとにはっちゃけてくけど最終回は(サバラスで)ビシッと〆たってのが
続けてみるとよく解りました。

次がメインイベントのトークショー。
最初にお一人づつ自己紹介を兼ねて首藤さんとの係わりをさらっと説明。

高橋望さん
アニメージュで首藤さんの小説を担当していた。
首藤さんの作品を後世に伝えたい
共有したい意味もあって今回のイベントを企画した。
小黒祐一郎さん
ヤマト、ガンダムが失速して言った80年代半ば頃から
その作家性の強さでアニメ界を引っ張っていったのが首藤さん。
湯山邦彦さん
会場の「池袋文芸座」は自分と首藤さんが映画の勉強をした思いで深い場所。
この場所でこのような会を持てて光栄。
小山茉美さん
首藤さんとは「巴里のイザベル」から。
それまでは今で言うとAKB48のような可愛いだけの役が多かった、求められていた。
「巴里のイザベル」は社会性が強いドラマで主人公のイザベルは
自立した強い女性の役だったので勉強になったし仕事の巾が広がった。
首藤さんはもっとも影響を受けた人の一人。
この後、最初は一人づつ、さらに深く首藤さんとの思い出を語られたのですが
進むに連れ掛け合いになっていったので皆様の発言を思い出せる限り箇条書きで。


湯山邦彦さん

首藤さんと最初に仕事をしたのは、大変古い作品になりますが「バルディオス」ですね
前後編の最初の話で打ち切りになっちゃったって言う物凄い作品です。
(「破滅への序曲(前)(後)」のことと思われます。)
首藤さんの脚本で前後編の後編の方の話をコンテと演出を担当したのが最初。
(「甦った悪魔(前)(後)」後編の事と思われます)
首藤さんの脚本を最初にコンテにしたのがそれなんだけど
独特のテンポって言うか他の脚本家には無いものがありました。

その次がゴーショーグン。
よく自分がゴーショーグンの監督だって思われてるけどそれは違くて
あの作品は演出が3人しか居なかったのでそこら辺の関係で・・・云々
次がモモ。
首藤さんとちゃんと話をするようになったのはこの頃からですね。

ポケモンはモモからだいぶ時間が経ってたんだけど
可愛い絵柄とかシリアス路線じゃないけど実は深いテーマを秘めてる所が
首藤さんの書く物にリンクしてるんじゃないかと思ってお願いしました。
やってみるとゲームのスタッフでモモを見てた方が多くてその辺でも良かった。
体調を崩して降板されたんですが
もう1回書いて欲しくてお願いして、チャレンジしたけど
やっぱり色々あって駄目だった、ってことがここ2~3年で3回くらいありました。

ゴーショーグンの5人はモデルが居たと聞いてます。
(小山さんのゴーショーグンのアフレコの話を受けて)
絵が間に合わなくて芝居の方に口の動きをあわせてました。
大体それで大丈夫だったんだけど一度だけやっぱりどうしても不自然で
息継ぎするタイミングとかですね
録り直してもらったことがありました。

ゴーショーグンの最終回のシナリオ、ラストシーンに「究極の宇宙美」って書いてあるんだけど
そんなこと言われても誰もわからない。
首藤さんに聞いてみたら「適当にやってよ」と言われあんな感じになりました。

みんなで集まってワイワイやるのが好きな人で
ミンキーモモの最終回でスタッフもみんな集めて歌を歌うシーンがあるのですが
その時はほんとに楽しそうでした。
首藤さんは声が大きくて聞くとはっきり解ります。
(シナリオえーだば創作術 第58回 『ミンキーモモ』打ち切り・最終回・延長 参照)

打ち合わせと称してはホテルに部屋とって
でも仕事の話は全然しなくて映画の話ばっかりしてました。
みんなで何かを作るのが好きな人でした。

演出家で石田昌平さんと言う方がいらっしゃいます。
(石田昌平さんはバルディオスでも25話「ガットラー暗殺計画(首藤剛志脚本)」
30話「地球不毛の日」で演出を担当されています。)

首藤さんと同じように駅で亡くなった方なのですがその方のお墓が伊豆の伊東にあるんです。
首藤さんと2人で首藤さんの運転で石田さんのお墓参りをしたことがあったんですが
そこで何を話したかまるで覚えてない。
伊東まで結構ありますからかなりの時間、2人で過ごしたのにまるで覚えてない。
途中、宇佐美だったか、海沿いのドライブインみたいな定食屋みたいなところで食べた
ご飯がやたら美味しかったことしか覚えてないんです。
シナリオえーだば創作術 第101回 「海モモ」の「走れ夢列車」 参照)

(小山さんの「首藤さんはさびしがりやな人だった」を受けて)
そうですね。
女の人を崇拝してるような所がありました。

「レダ」のあと「レダ2」の企画があったんですけど色々あって消えてしまいました。
女の子が何人かで戦う話で絵はいのまたさんだし
やってれば成功してたと思うのですが残念です。
(首藤さんのブログ「首藤剛志のふらふらファイル箱」では
レダ2のプロット、未公開シナリオを公開していらっしゃいます)


首藤さんの代わりになるような人はいないしあんな人はもう出てこないだろう。
アニメは一人では作れないし僕たちはこれからも作品を作っていく。
天国の首藤さん、見守っていてください。


小山茉美さん

首藤さんの脚本は役者泣かせというか、とにかく直しが多いんです。
今はDVDとシナリオを頂いて家で勉強してから録音なんですが
当時はフィルムですからそういうことが出来ない。
当日くらいに初めてシナリオ見て
テスト、テイク1、テイク2で本番でしょ。(この辺、ちょっとうろ覚えです。違うかも?)
しかも絵が無いんです。
赤とか緑とかで線が引いてあって「赤のところは○○さん」って感じで。
(当時よくあった線録りのことかと思われます。)
こっちはその時間に合うようにタイミング合わせて練習してさあ本番、ってところで
「小山さん、ちょっと」
って呼ばれて行くとその場でパパ~っとセリフ直しちゃうんです。

ゴーショーグンの予告はアフレコ現場で書いてました。
首藤さんは耳ざといところがあって
私たちが現場でくだらない世間話をしてると聞いていて予告で使っちゃうんです。
さきほどの(予告編上映で)ご覧頂いた予告の中で内容とあってない
変なのがあったと思いますがそれが私たちのくだらない話を使ったものだと思います。

(線録りについて)
どういう顔してどんな向きでどれくらいの距離で話してるのか、まるで解らない。
背景もないし「こうかな」って自分で考えてやるしかないんです。
しょうがないから(湯山さんに向かって)「後はよろしくね」ってお願いして。

今日のために「時の異邦人」のロマンアルバム見てたら
「幕末ゴーショーグン企画書 首藤剛志 小山茉美」って書いてある企画書が出てきたんです。
実現はしなかったんですけど舞台の企画でした。
ロボットのゴーショーグンは出てこなくてあの5人のお話です。
(どんな舞台なのかお話があったのですが忘れてしまいました)
「ようこそようこ」で1回だけ脚本を書いたことがあります。
私が書いたエッセイを評価してくださったからなのですが一度はお断りししました。
その後、当時滞在していたニューヨークに国際電話をかけてまで
「ぜひ・・・」とおっしゃっていただいたのでプロットだけ送りました。
帰国してから見てみたら私が書いたのと全然違う。
首藤さんに「どういうことですか!!」って聞いたら
「スポンサーとか色々あるんだよ・・・・」って言われて・・・
(ここで高橋さんにそんなにヤバイ内容だったのですか?」と聞かれて)
ヤバイって事はなかったですよ、環境問題を取り上げちゃったのでその辺がそうなのかなー
でもヤバイって事はなかったですよ。
シナリオえーだば創作術 第80回 『ようこそようこ』七転八倒 参照

(高橋さんから主題歌を歌うことになったいきさつに付いて聞かれて)
モモの主題歌はビクターから話を頂いて
その時はモモちゃんの役は誰がやるか決まってなかったです。
誰がやるのかなー、私は主題歌を歌うからやらせてもらえないんだろうな
って思ってたら首藤さんが
「小山さんが歌うんなら小山さんでいいんじゃない」って言ってくださって。

最近はナレーションの仕事が多いのですが
機会があればアニメの仕事もぜひやりたいです。
お芝居がしたいし感情を込めてセリフを言いたい。
天国の首藤さん、お導きください。

高橋望さん
「時の異邦人」はレミーの話でゴーショーグンは出てこない。
ゴーショーグンはその後小説の形でいくつも発表されたがやっぱりメカが出てくるわけでもなく
あの5人のお話だった。
TVアニメから生まれたキャラだけで映画、小説と違う媒体に発展させていった手腕は見事で
首藤さんだから出来たことだろう。

「時の異邦人」の評判が良かったので「次も・・」と企画が上がり
会議が開かれ首藤さんも参加されたが実現しなかった。
首藤さんは自分の頭の中にあるイメージを(会議で)話されたのだと思うが
漠然としすぎて聞いている人は誰も理解できなかった。
(湯山さんが自分もその会議に参加したことと
首藤さんが会議で話したかったことのフォローをされました>でも具体的な内容は覚えてません))

次回作は「鏡のゴーショーグン」だと聞いていたがこれも書かれないままになってしまって・・

(小山さんの「幕末ゴーショーグン」舞台企画の話を受けて)
「幕末豪将軍 」と言う小説が出てるが全然違う内容です。

(小山さんに対して)
レミーは小山さんに似てますよね。
こうして近くで話されてる様子を見ると余計にそう思います。
さっきの怒ってた感じなんて
(小山さんが書いたシナリオがすっかり変わっていた件で
首藤さんに抗議の電話をかけた話をされた時)
レミーが怒ったところとすごく似てます。

小田原文学館では小田原ゆかりの作家という事で
首藤さんのシナリオや原稿などがいくつか常設展示されています。
(首藤剛志のふらふらファイル箱 ご無沙汰してます。これから元気になります 参照)
小田原図書館にはご自身のシナリオなど全て寄贈されていて
どなたでも所定の手続きを踏めば見ることが出来ます。
こんなことになってしまいましたが
こういう形で資料を残してくださったことは
今となってみればすごく良かったのではないかと思います。
(首藤剛志氏寄贈資料目録ダウンロード 参照)


小黒祐一郎さん
(高橋さんの「鏡のゴーショーグン」の話を受けて)
それ、アニメスタイルで発表させてもらうことになってたんです。
プロットも出来てる様子で
首藤さんに「どうですか」って聞くと
「急な仕事が入っちゃって・・・・」って言われて・・みたいなことを何回か繰り返して
そのままになってしまいました。

亡くなるちょうど一ヶ月前に
同じこの文芸座でオールナイトイベントがありまして、首藤さん来られてたんです。
(新文芸座×アニメスタイルセレクションvoll11 マイマイ新子と片淵須直の足跡 2011/9/25)
ステージからどーも首藤さんに似てる顔が見えるんだけど
体調悪いって伺ってたから違うよなーと思いつつ、チラチラ見てました。
休憩時間に外に出たら手を振ってくれて
やっぱり首藤さんだ、って思ったら「シー」って(口に人差し指のしぐさ)
ナイショにして欲しいんだなーって解ったのでその時はそのままにして
次の日電話をかけました。
「片淵監督に興味があったから来たんだ」っておっしゃって
オールナイトに来るくらい元気になったんだな、良かったな
って思った矢先でした。


最後は客席にいらしてたわたなべひろしさん
(「僕もホテルの会議に呼ばれましたー」と笑顔で舞台に上がられました)
をステージにお呼びして小山さん提供の
ミンキーモモ主題歌EPシングルレコード(サイン入り)と
小山さんのサイン入りCD争奪ジャンケン大会でした。
3名の方にプレゼントが行き渡りお開き。
途中、休憩を挟んで4作品の上映となりました。

通路には生原稿やサインなどゆかりの品々が展示されてました。


ゲストの方々が寄せ書きされたポスターもありまして
私たち、来場者も自由に書き込んでいいとのことでしたので・・・
ワタスも書き込んできました。
(このポスターはイベント終了後、ご家族に渡されたそうです。)
 
ピンボケでスンマセン
こんなのもあったぞーーーー!!

バルディオス未放映漫画の岬龍飛さんですね☆

バルディオスの話はあんまり(っつーかほとんど)出なかったけど
首藤さんがバルディオスに残した功績は大きいです。


こうやって追悼がらみのページを作るのは2007年の羽田さん以来2度目。
あと何回こんな事をするのだろうと思うとぞっとします。

ここ数年、あの頃ワクワクしながら見たあの作品を作った方
憧れだったあの人
たくさんの方の訃報を耳にしました。

塩沢さんや羽田さんの時はショックが大きすぎて「なんで!!」って憤りの方が強かったのですが
(お年が比較的若かったせいもあると思う)
こう続くとある種、諦めというか
人はいつか死んでしまうという現実を叩きつけられたようで辛いです。
首藤さんは大好きなバルディオスを作った神様だから特別制で
お体が悪いように見えても、なんだかんだでいつも元気!って勝手に思ってたのですが。

会場の雰囲気は大変良かったです。
暖かくて切なくて、首藤さんを語るゲストの皆様それぞれの表情も素晴らしかったです。
会場にはレミーのコスプレしてる方もいらっしゃったんですよ☆
(しかも2人!!赤のファイタースーツ&時の異邦人のジャンプスーツ)
こんなにみんなで集まって首藤さんのこと話してるのに
肝心の本人がいないなんて変な感じ。
そう思いながらトークに笑ったり一緒に行った友人とバカ話したりで
居眠りしつつ朝まで過ごしました。(腰が痛かったよー>老体にオールナイトはキツイ)

お通夜にも今回ご一緒したほぼ同じメンバーで参列してきました。
バルディオス以外のお仕事はあまり知らないし
そんなにすっげーファンだって自覚は無いんですがどうしても行きたかったので。

お焼香のあと、せっかく集まったんだからってことでそのまま飲みに入りまして
楽しく飲んで食ってしゃべって来ました。
みんな喪服で考えようによっては大変不謹慎なのですが
大人になるとなかなか大人数で集まることは難しく
この楽しい時間は首藤さんがくれたんだな、ありがとう!って思いつつ
いつもよりハイペースで飲んでしまいました。

有名人が亡くなってもなじみの無い方だったりすると
別に悲しいとか思わないじゃないですか。
訃報を聞いてショックだったり悲しかったりするのは好きだから。
私も私なりに首藤さんが好きだったので
(書く物が、なんとなく伝わってくるお人柄が)悲しくもありますが
それ以上にたくさんの物を頂きました。
だからやっぱり
「ありがとう」
「バルディオスを書いてくれてありがとう」
これしかないです。





でももう・・・「追悼」とかは勘弁して欲しいですね。

バルニュースへ  メニューへ

(2011年7月)